住吉神社
索部:常陸神社ノオト:2011.06.08
祭 神:大山咋命
創 建:大同二年(伝)
例祭日:七月二十五・二十六・二十七日
社 殿:本殿流造木羽葺/東南向
住 所:石岡市井関
住吉神社なのに御祭神が大山咋命であり、通称が「山王さん」なのだ。
古来山王さまと呼称されてゐる。社号「住吉」「日吉」を誤るかとも云ふ。参道の築造は天保十二年。
だ、そうな。
周辺井関古墳群の土地であり、『いばらきデジタルマップ』上ではこの住吉神社のある高台よりやや南に下った所に古墳が集中している。さらに北西1.5キロの所には石川山崎古墳(鹿島神社・稲荷神社)がある。この辺り、海面を6メートルほど上昇させてみると下図のようになる。
高浜神社は常陸国司が鹿島を仮参拝するために青屋(仮屋)を設えた所であり、また、鹿島神宮への船出の場でもあった。舟塚山古墳は東国第二の規模を誇る前方後円墳である。いずれにしても古代この周辺霞ヶ浦に望む岸の高台に神祀りの場を設けるのが定石だったのだろう。
参拝記
住吉神社へは平成二十三年五月九日に参拝した。先にあげた石川山崎古墳の鹿島・稲荷神社も併せて参拝している。
上に見るように扁額も「住吉」であり、今でも「山王」と言っているものかとご近所のご老人に話を伺った所確かに「山王さん」であった。
『神社誌』には境内社の記載はない。この石祠も何を祀ったものかは不明。しめ縄は定期的に張り替えられているようであるから、単に村辻の祠が区画整理で移動した、というものでもあるまい。
参拝当日はここも井関古墳群の古墳の一つだと思い込んでいたが、後々よく見てみるとこの社地の高台そのものは特に古墳として登録されてはいないようだ。
しかし写真に見るように明らかに神祀りの場として杜が残されている土地ではあるだろう。今は数百メートルに渡って高台と霞ヶ浦岸辺の間に田が広がっているが、往古は高台直下から下のような霞ヶ浦を望んだに違いない。
舟塚山古墳からこの井関に渡って、霞ヶ浦に面した古墳や神社高台に統一的な神祀りの感覚があったのかどうか。各神社の由緒を皮切りに周辺遺跡の資料などから考えていきたい。
住吉神社(石岡市) 2011.06.08