狩俣の蛇神の子

門部:日本の竜蛇:九州・沖縄:2012.02.17

場所:沖縄県宮古島市平良狩俣
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系15』(みずうみ書房):「狩俣の蛇神の子」
タグ:王と竜蛇/蛇聟入・苧環型


伝説の場所
ロード:Googleマップ

宮古島の北にのびる平良狩俣の岬の人々は父を大蛇神とする祖・マヤーマツメガの子どもたちである。その太古の神話は、しかし大変近しい昔のようにも語られる。爺ちゃん婆ちゃん、ひい爺ちゃんひい婆ちゃん、その先くらいにひょっこり祖神がいてもおかしくない、という感覚が見える。それは、とてもまぶしい光景だ。

狩俣の蛇神の子:
大城御岳は、豊見赤星天太ナフラ真主と申す女神を祀る。この女神は、狩俣の東方にある島尻当原という小村に天降りして、狩俣の後方大城山に住んでおられたが、ある夜、若い男と婚すると夢見て懐妊し、七ヶ月目に一腹男女二児を生まれた。
父が分からないので、初めて行逢う者を父と定めようと、子どもを抱いて出てみると、山の前の大岩に大蛇が這いかかっており、子どもらを見て首を上げ尾を振って、喜び踊るようであったので、これを父と定めた。これから狩俣村が始まり子孫が栄えたという。(『宮古史伝』)

みずうみ書房『日本伝説大系15』より引用

細かな所を解説する前に、『大系』の表題話となっている口承記録の父蛇登場以降の光景が実になんというか神々しいのでそちらを紹介しよう。こちらでは子ども二人は両方女児だったことになっている。

……その女の子を二人連れて、ご馳走いっぱい作って、頭に載せて、どこでもいいからと足の向くまま歩いたらしいね。そうしたら、大きい蛇が高あい山に、こう尻尾を垂れて見ておったって。そしたら、じいーっと見たら、涙がぽろんぽろんと蛇の目から落ちておったって。
こりゃあ、これのお父さんだねと思って、「これの親じゃないか」ちゅったら、その子どもがふうっと降りてって、一人は首のほうに抱き付くし、その一人は尻尾のほうを抱いて泣いておったらしいね。
それで、ニノファノマキダつって御嶽があるらしいね。狩俣のほうに、その女の子が二人祀られているらしいね。それは蛇の子どもだったって。向こうの神さまが蛇じゃなかったかなちゅう。(『沖縄の昔話』)

みずうみ書房『日本伝説大系15』より引用

さて、沖縄の神話・伝説ともなると「ないちゃー」には見なれぬ語感も多いので、少し解説をしていこう。

まず、この話は神話としては宮古創世の最高神の神格である「豊見赤星天太(テタ)ナフラ真主(マヌシ)」という女神と、父となる蛇神の事として語られている。テタ/ティダ/テラ/ティラは太陽のことで、この女神は太陽(の子)の女神である。

一方で、口承伝説としては「テラヌプズ」という女神のこととして語られてもいる。これは「テラ(太陽)- の -プズ(プジ・大按司)」というような名で、大按司は祖神という意味のようだ。おそらく大神の名を直に呼ぶのはよろしくないので普段はこう呼ぶのだろう。

大蛇は狩俣のニーリ(神謡)に「やまぬふーしらじよ(山のフシラズ〈大蛇神〉よ)」とあり、そういう名であるか神格のようだ。後には男神「アサテダ」という名で祀られることになる。そして、女神と大蛇の父神との間に生まれた子の一人を「マヤーマツメガ(マツメガ神)」という。マヤーマツメガが初代女酋であり、生神として狩俣の人々の直接の祖とされているようだ。名の意はよく分からないが、二代マダマ・三代マヅマラーとつづく。

この祖たちが暮らした所が「大城御嶽(ウプフグ・ウタキ)」と書かれているが、土地では「大城ムトゥ」と呼ばれる。ムトゥとは「もと(元)」の意で、所謂ウタキとは少しニュアンスが異なる。用語的にはこのくらいだろうか。いずれにしても太陽神の女神と大蛇神の子孫が狩俣の人々の祖だというのであり、まことに壮大なのである。

ところでこの伝説の類型には、通って来る(夢に現れる)若い男の正体を知るために「麻糸を通した針を男の髪に刺し、糸をたどって行くと、片目に針が刺さった大蛇がとぐろを巻いている」というおなじみの苧環型の話もある。このあたりから本土の話の流入だ、いや宮古が祖型なのだとまた大変なのだが、そこを考えてもあまり埒は開かないと思うので別の点を指摘しておきたい。この伝説が歴史時代以前から伝わるものかどうかは分からないが、その太古の側面を伝えてはいるのである。

それは、創世の神が村の神であり村人の祖だという点だ。当たり前の話なのだが、意外とこれが七転八倒の歴史時代を長く経た人々にはピンと来ない実感でもある。広い「国」の一地方という時代が長いと、その地方神はなんだか大変な神々の系図の末席にいる小さな神のように思えてくる。

しかし、広域統治がなかった頃は村が世界であり、その神は創世の神だったはずである。順番からいったら、そのような信仰形態しかなかったはずなのだ。となると、もしかすると私の家の裏山の氏神さんも世界を開闢した神なのかもしれない、ということになる。

関東のほうではそのような感覚も辛うじて残っている。大きな神社もヒメ−ヒコの組み合わせの祭神を持つことが多いが、これは道祖神のことでもあるだろう。その神はかつてそこで世界の開闢を行った根元の夫婦の神なのだ。

そんな感覚を沖縄の島々の持つ神話・伝説は思い起こさせてくれる。それは、本土に散らばる伝説の中にもたくさんの「世界のはじまり」を照らし出してくれるかもしれない。沖縄の神話・信仰も門外漢には手強いが、まずは「その感覚」を一番に学びたい。

宮古島、狩俣、ウヤーン(祖神祭)
宮古島、狩俣、ウヤーン(祖神祭)
リファレンス:IZU PHOTO MUSEUM:母たちの神—比嘉康雄展画像使用

memo

狩俣の蛇神の子 2012.02.17

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