菅生の滝

門部:日本の竜蛇:九州・沖縄:2012.03.27

場所:福岡県北九州市小倉南区道原
収録されているシリーズ:
『日本の伝説33 福岡の伝説』(角川書店):「白蛇の精/菅生の滝」
タグ:蛇になる男


伝説の場所
ロード:Googleマップ

小倉の南の山中に菅生の滝という滝がある。「すがお」の滝だ(ちなみに地名の道原は「どうばる」と読む)。ここに珍しい悲恋譚が伝わっている。恋慕の果てに蛇となるという話は全国に枚挙に暇なくあるが、ここでは蛇となるのが男なのである。

菅生の滝
菅生の滝
レンタル:Panoramio画像使用

香月の長者の娘に歌姫の異名を持つ姫が居た。ある夜、歌姫が縁側に短冊を置いたまま部屋に入ると、庭に一人の男が入ってきた。名を熊彦というその男は、姫の居ぬ間に短冊に一首の歌をしたためた。
万寸鏡清き月夜に照る梅を
  醜の手われ恥じ手折りかねつも……
熊彦はかねてより歌姫に心を寄せていたのだが、身分の低い自分では、と近づけなかったのだ。その想いの書かれた短冊を見つけた姫は胸が熱くなった。名も残さなかったその詠み人を探して人々にも尋ねた。
ところが、蔦麿という隣村の里長の息子がこの詠み手と言って名乗り出てしまった。蔦麿は眉目秀麗で家柄も申し分なく、やがて歌姫と蔦麿は祝言を挙げることになった。驚いたのは熊彦である。しかし、今更名乗り出ても蔦麿と自分では比べものにならぬ。絶望した熊彦は山に分け入ると、滝壺に身を投げた。
それから、新婚の歌姫は毎夜高熱を発しうなされるようになった。夢の中で姫はどこかの滝壺に浸かり、体を白蛇に巻かれていた。この事を話すと、そのような滝が福知山の向こうの山奥にあると言う。歌姫はどうにかして実際のその滝壺に浸かりたいと思うようになった。そこで醍醐仙という仙人に相談してみると、ひと目で仙人は白蛇に憑かれていることを見抜いた。しかし、あまりに白蛇の想いが強く、どうしようもないと言う。もはや滝に行くしかない、と仙人は言い、しかし、その際は顔を黒く塗ってゆきなさい、と助言した。
そのようにした歌姫が滝に行くと、波立つ滝壺の飛沫が、顔の墨を洗い流してしまった。途端に白蛇が現われ、姫に巻きつくと、水底にゆっくりと沈んでいった。それからここを「素顔の滝」と呼ぶようになり、今は菅生の滝となった。

角川書店『日本の伝説33 福岡の伝説』より要約

香月というのは遠賀川の方で、菅生の滝のある辺りから見ると山の反対という感じである。どうも九州の入水譚は少し離れた滝へと引かれる観がある。

それはともかく、これは熊彦が想い人を横取りされた挙げ句滝に身を投げて白蛇になるという話である。これはそれなりに珍しい。人間が蛇になる話はほとんど女人蛇体である。そういう用語があるくらいそうなのだ。もっとも「男は蛇にならない」というわけではなく、武蔵の「蛇橋」でもなってはいた。

しかし、男が妄執の果てに蛇になる話は冤罪であるとか家の復讐のためとか、どこか公憤なところがあるもので、菅生の滝の熊彦のように失恋の果てに、というのはそうそうある話ではないと思う。現状その意味までは分からないが、「恋路の果てに蛇になるのは女だけ」とドヤ顔で言ってしまわないように(笑)、ひとまず良く覚えておきたい。

須川神社
須川神社
リファレンス:フォト蔵画像使用

ところでこの菅生の滝には「須川神社」というお社があるのだが、先の伝説とはあまり関係がないようだ。滝の神を祀る水神であり、一帯の雨乞いはここで行われたということなのだが、またの名を「菅王権現」とも言ったそうな。ここに、菅生の滝のもうひとつの伝説がある。

(菅生の)滝は三段に分かれて三〇メートルに及んでいる。別の名を菅王の滝ともいう。むかし、百済から菅王子という神人が飛行してこの山を訪れたが、このことを知った智見という百済僧が、その跡をたずね山に登って祈ると、薬師如来の姿となって現われた。そこで堂を建て祀ったのが菅王権現である。また別に一寺を創め、これが菅王寺であるという。のちに法蓮がこの山に登って一字一石の法華経を書写したというが、このとき滝の竜神が水を献ずるという奇蹟が起きた。そこで書写した経石を埋めて石塔を建てたという。菅生権現はいまの須川神社で、雨乞いに霊験があると伝えられている。また、滝の淵の主は蟹であり、その姿を見かけると不吉なことがあるともいう。

角川書店『日本の伝説33 福岡の伝説』より引用

滝下、一字一石経塚など
滝下、一字一石経塚など
リファレンス:北九州点描画像使用

文中で既に混濁しているが、つまり菅王が菅生になったということである。菅生寺は今も滝の下流にあり、滝は奥の院にあたるようだ。須川神社の隣に菅生寺奥の院もある。菅生寺はかつて四十八坊を擁した寺だったというから、英彦山への峰入りルートとしての信仰地という意味合いが第一だったのかもしれない。百済から「飛行して」来たという菅王子からして仙人と言うか天狗のようなものだろうが、そのような修験者たちの滝だったのだろう。最後の「ヌシが蟹」という点が唐突であり、まったく何のことだか分からないのだが、これも覚えておきたい。周辺民俗に何かあるかもしれない。いずれにしても、このような悲恋の伝説と修験の信仰地とが重なっているところであり、どう関係しているのかもおもしろそうだ。

あれこれネットで菅生の滝について書いたものを見ていると、どうも今でも「現役の霊場」という感じが強い。夏場の良い水場遊び場と紹介される一方で「心霊スポット」の呼び声も高いようだ。私もいつか、蛇に身をやつすまで恋いこがれた男の眠るこの滝を見てみたい。

memo

菅生の滝 2012.03.27

九州・沖縄地方: