群馬県の竜蛇

門部:日本の竜蛇:「怪異・妖怪伝承データベース」より

話 名 七不思議
資 料 郷土研究 4巻2号
場 所 白郡 井村
要 約 双林寺の七不思議。災難のある時、前兆として開山堂で拍子木の音がする。どのような旱魃でも水が絶えない蛇頭水。夜な夜な小僧になって寺内を徘徊し人を驚かせた高欄にある木像。赤門から抜き出て飛翔したという彫刻の鶴。底無しの井戸。繋ぎ榧。逆さ桜。

話 名 七不思議
資 料 郷土趣味 通巻17号
場 所 群馬県
要 約 上州双林寺の七不思議。一つ木拍子・蛇頭水・山門の小僧・底無しの井戸・繋ぎ榧・逆さ桜・赤門の鶏

話 名 新屋明神,大蛇
資 料 旅と伝説 8巻9号通巻93号
場 所 利根郡
要 約 昔、利根郡にある山麓の長者に、三人の美形の娘がいた。或る日、田舎には珍しい美青年がやって来て、娘をほしいという。断ったが夕刻になると訪れる。不審に思った長者が氏神の新屋明神に祈った。翌夕、明神のお告げに従って青年に笄を渡し、鶏が鳴かない内にこれで溝を掘れという。青年は難なく掘って最後の一掘り直前に、新屋明神のご加護により鶏が鳴いた。青年は大蛇で、逃げた後に石が残った。

話 名 大蛇,牛石
資 料 旅と伝説 8巻9号通巻93号
場 所 利根郡
要 約 奥上州の為政者がある宴席で美しい侍女に見とれ、寵愛した。ただこの侍女は昼には姿が見えず、夜だけ見えた。その訳を聞くと、自分は庄田の者だが、結婚してくれれば昼も侍ることができるという。そこで華燭の典が行われ、数年後に男児が生まれた。この侍女は庄田の沼に住む大蛇の化身で、その輿入れの際に乗ってきた輿は石になり牛石と呼ばれた。その男児は顔が長く、身体に鱗があったという。

話 名 (蛇と姑)
資 料 民間伝承 9巻6,7合併号通巻96,97号
場 所 沼田市 戸鹿野町
要 約 ある家で嫁に虐待された姑が死んだ。その後2度に渡り嫁の夢に老婆が現れ、その都度子供が死んだ。また嫁が蛇を見つけた処、その蛇は姑に似ていたという。

話 名 大蛇,池の主
資 料 上毛民俗 通巻6号
場 所 勢多郡 赤城村
要 約 昔、猟師が矢を砥いでいると、小さなかなへびが来て、指を呑み込もうとするので、砥ぎすました矢で上顎を思い切り突いた。怪物が池に逃げ込むと雷鳴と共に池の水は龍巻を起こした。近所の人が見に行くと池の主の大蛇が顎を破られて無残に死んでいた。

話 名 大蛇
資 料 民間伝承 13巻9号
場 所 勢多郡 横野村
要 約 「樽」の酒屋は大身代で、守護の大蛇が棲んでいた。大蛇のために、毎年36石入り、6尺の大樽の酒を用意していたが、ある時主人が、蛇さえいなければ身代ももっと上がると考え、火縄銃で撃ち殺してしまった。遺骸を埋めたのが蛇塚で、その後、酒屋は没落してしまった。

話 名 きのこ
資 料 西郊民俗 通巻25号
場 所 群馬県
要 約 敗戦近くの頃、上州一ノ宮貫前神社の欅の神木に蛙の形の茸が生え、神木に宿る軍神が怒って現れたものと言われた。さらに、大戦果時には大きくなり、玉砕などの時はしぼんだとか、敗戦直前には蛙に蛇が巻きついた形になったなどという話にまで発展した。

話 名
資 料 伝承文学研究 通巻6号
場 所 甘楽郡 南牧村
要 約 蚕のマブシに鼠のたからぬ呪いに、咲前神社のお礼を貼る。この神社のご神体は蛇であるという。

話 名 明神さん
資 料 伝承文学研究 通巻6号
場 所 甘楽郡 南牧村
要 約 タデ沼の主は明神さん。蛇で諏訪へ行ったその跡が凹になっている。

話 名 蛇の目傘をさした小坊主
資 料 上毛民俗 通巻40号
場 所 桃野村
要 約 雨の日、すっかり暗くなった頃に桃野村ボデギの坂を通りかかると、蛇の日傘をさした2尺程の小坊主がたくさん現れて前を通った。気味の悪くなったその人が腰をおろして煙草を吸い始めたら消えてしまった。

話 名 蛇石様
資 料 西郊民俗 通巻43号
場 所 松井田町
要 約 信州岩村田の奥に蛇石様があり、ヘビ除けのため春になるとお守りのムシキリガマを受けてくる家もあった。

話 名 ヘービシさま
資 料 西郊民俗 通巻43号
場 所 松井田町
要 約 恩賀部落にもヘービシ(蛇石)様が祀ってある。蛇の格好をした石で、岩村田の蛇石様を分祀したものらしい。

話 名 弁天さまの祟り
資 料 利根川中流水場のムラの民俗 通巻6号
場 所 邑楽郡 板倉町
要 約 小林角蔵氏の家から北に約1町離れた所に、1番古い弁天サマの弁天ヤシキがあった。この地に田をつくったところ、持主に災難が絶えなかった。その後、弁天サマは筑山に移され、雷電沼に移され、現在に至る。神体は蛇だという。

話 名 大蛇
資 料 人類科学 通巻22号
場 所 勢多郡 赤城村
要 約 昔、利根川の上流から1匹の大蛇が流れてきて、「龍王の岩」に這い上ったといい、両岩の間には底知れぬ深い淵が渦を巻いており、その底は竜宮に達していると伝えられている。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 邑楽郡 千代田町
要 約 藤原長良が大蛇を退治して、蛇体を8つに切って分けて祀ったので、邑楽郡には長良(ながら)神社が8社ある。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 邑楽郡 千代田町
要 約 千代田村の大沼の大蛇が毎年人身御供を取るので、都から来た藤原長良に退治を願った。長良は弓の名人の御殿女中のおさよ殿(さいぞう様ともいう)を連れ、大蛇の目を射潰して刀で刺し殺した。大蛇の屍骸は18に切って、頭は千代田村瀬戸井に祀り、他は邑楽郡各地に祀った。邑楽郡に長良社が18あるのはそのため。

話 名 (蛇神)
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 多野郡 上野村
要 約 文武天皇のころ、神流川の蛇神が人身御供を取っていた。甘楽郡神保の権守が天使に奏上し、天子の命を受けて公卿満行が来て、法華八軸の秘法で蛇神を退治した。蛇体を8つに分けて八串堂を建てた。満行は権守の娘に聟入りして、死後榛名山満行堂に祀られた。娘は野栗権現と現れた。

話 名 悪鬼王
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 藤岡市
要 約 鮎川の蛇喰(じゃばみ)渓谷の「あいのかま」という渕の悪鬼王が人身御供をとるので、日本武尊が征伐した。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 藤岡市
要 約 鮎川の蛇喰(じゃばみ)渓谷の大蛇が人身御供を取るので退治したという伝説がある。

話 名 蛇,坊さん
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 前橋市 鳥取町
要 約 「長虫と長袖の祟りはひどい」といい、蛇と僧侶の祟りは恐ろしいとされた。

話 名
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 太田市,前橋市
要 約 蛇は半殺しや生殺しのままでは祟るので、徹底的に殺さなくてはならない。

話 名 (俗信)
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 群馬県
要 約 動物に関する俗信一束。蛇を殺すと七代祟る、猫を殺すと七代祟る、など。

話 名 (俗信)
資 料 群馬県史 資料編26 民俗2
場 所 群馬県
要 約 夢に関する俗信一束。蛇の夢は金が入る、天王様の神輿を担いだ夢を見ると死ぬ、など。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 邑楽郡 板倉町
要 約 12月1日の川浸りの日は大蛇に人身御供を奉げる日だった。名主の一人娘が人身御供に当り、両親は娘を唐櫃に入れて橋のたもとに置き、橋の上から餅を投げた。娘を呑むはずだった大蛇は餅で腹一杯になり、娘は助かった。以来餅を川に流すようになった。川浸りの由来。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 みどり市 東町
要 約 弘法大師空海上人が第二の高野山を捜して袈裟丸山に登ったが、千谷は見つからなかった。尾根伝いに歩いてさいの河原まできたとき、白い大蛇が大師を呑もうと襲い掛かってきたので、経文を唱えたら大蛇は去った。大師は夢で川の中に仏像があることを知り、村人とともに捜してお祀りした。そのときの庚申様がある大沢寺は、大蛇と戦ったいわれがあるので山号が竜宝山。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 前橋市 上泉町
要 約 赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀の道元という大尽の娘は、赤城様に無理に願掛けして授かった子どもであったが、16歳で赤城山へ行き、沼に入って大蛇になった。無理に願掛けして生まれた子どもは長生きしない。

話 名 長虫,蛇体
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 勢多郡 富士見村
要 約 勢多郡 富士見村赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀の道元という大尽の娘に、夜な夜な誰か通ってくる。着物に針を刺して血をたどると、それは蛇だった。娘は赤城山へ行き、小沼に入って蛇体になった。毎年5月8日にはその小沼におひつでこわめしを流す。おひつは一旦沈んで、空になって浮く。また、5月5日には女は菖蒲酒を飲み、菖蒲湯に入ると、宿った蛇の子が流れる。

話 名 (蛇体)
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 勢多郡 富士見村
要 約 赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀の道元という大尽の娘は、16歳で赤城山へ行き、見初められて、帰って来てからも赤城が恋しくてたまらなくなった。親が倉に閉じ込めておいたが、背中にコケ(鱗)が生えてきたのであきらめて赤城に送ると、小沼に入って大蛇になった。毎年5月8日にはその小沼にホケエで赤飯を流す。ホケエは一旦沈んで、空になって浮いてくる。

話 名 (蛇体),ガニ
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 前橋市 粕川町
要 約 赤堀の道元という大尽の娘は、16歳で赤城山へ行き、小沼に入って大蛇になった。お供も帰れないといってガニになった。

話 名 竜神
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 前橋市 粕川町
要 約 赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀の道元という大尽の娘は脇の下にコケ(鱗)があったが、16歳で赤城山へ行き、小沼に入って大蛇になった。毎年4月8日に赤堀家では、小沼に重箱に赤飯を詰めて持って行くと、竜神が出て来て受取る。

話 名 蛇,沼の主
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 桐生市 新里町
要 約 日照りが続いたとき、赤堀道元という大尽の娘は、17歳で赤城山へ行き、自分が沼に入れば沼を掘り割って水が流れるだろうと思って、小沼に入って沼の主の大蛇になった。道元は沼を掘り割ったが、娘は見つからなかった。赤堀一帯には水が行き渡り、無事田植えができた。

話 名 大蛇,竜
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 桐生市 黒保根町
要 約 赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀道元という大尽の娘は、赤城様に申し子して授かった子どもで、16歳で赤城山へ行き、沼に入って大蛇になった。道元は沼を掘り割った。その跡が今も水門になっている。道元は娘の衣裳をあちこちの寺に納めた。湧丸の医光寺では4月8日に帯などを開帳する。申し子はするものではない。

話 名
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 沼田市 利根町
要 約 赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀道元という大尽の娘が16歳で赤城山へ行き、小沼に入って蛇体になった。旧暦4月8日にはその小沼におこわや煮しめを重箱に詰めて流す。重箱は一旦沈んで、空になってまた浮いてくるという。

話 名 ムカデ,蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 沼田市 利根町
要 約 赤堀家の先祖は俵藤太。三上山のムカデを退治して大蛇を助け、大蛇の娘を嫁にした。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 利根郡 みなかみ町
要 約 赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。ある長者の娘が16歳で赤城山へ行き、小沼に入って蛇体になった。長者の家では赤城のお祭りには小沼に重箱で赤飯を流す。重箱は一旦沈んで、空になってまた浮いてくるという。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 伊勢崎市 西小保方町
要 約 赤城山へ16歳の娘は登ってはいけない。赤堀道元という大尽の娘は、16歳になったら脇の下にコケ(鱗)が3枚生えた。モウ跡取りにはなれないと言って赤城山へ行き、小沼に入って蛇体になった。赤堀家では旧暦4月8日に小沼に赤飯をおさめる。道元の娘は神様に願掛けして授かったと言う。

話 名 大蛇,カニ
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 みどり市 笠懸町
要 約 赤堀の道元という大尽の娘が16歳で赤城山へ行き、小沼に入って蛇体になった。お供の者も家には帰れないと言って、娘について沼のカニになった。命日には赤堀家は小沼に重箱に詰めた赤飯と酒を持って行く。重箱は一旦沈んで、空になってまた浮いてくるという。

話 名 ムカデ,大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 群馬県
要 約 赤城山の神はムカデ。赤堀家の先祖は三上山のムカデを退治した俵藤太だったので、その恨みを受けて赤堀家の御内室が赤城に登ったときに沼に引き込まれ、大蛇にされた。赤堀氏は妻を見ようとして沼を掘り割ろうとしたが、にわかに天候が荒れて地震が起き、果たせなかった。そのときの堀が赤堀殿の堀の口として残る。以来赤堀姓は赤城山に参ってはいけない。

話 名 大蛇.カニ
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 北群馬郡 榛東村
要 約 木部様というお殿様の娘が病気になり、榛名山に願掛けで登って沼に入って大蛇になった。お供の者も帰れないと言って沼に入ってカニになった。カニを食べると榛名に行けない。榛名山の関係の人は5月5日に榛名湖にホケエに入れた赤飯を流す。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 北群馬郡 榛東村
要 約 榛名湖の氷を鋸で切って出しているとき、その鋸が榛名湖の主の大蛇になったお姫様に当って、お姫様の怪我が絶えないので、室田の長年寺の井戸に引っ越して、男に化けて将棋をさしにきた。やがて正体を言わなくてはならなくなり、井戸から天に昇った。

話 名 ヒゴイ,マゴイ,沼の主
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 北群馬郡 榛東村
要 約 榛名湖の主の大蛇になったお姫様が天に昇るとき、榛名湖にヒゴイとマゴイの主をおいていった。5月5日の節供に12分のお膳を沼に沈めると、空になって浮く。五月節句に2歳の子どもを張るな神社に連れて行き、榛名湖に回るとヒゴイとマゴイが子どもを守ってくれて、丈夫に育つ。

話 名 大蛇,カニ
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 北群馬郡 榛東村
要 約 木部様というお殿様の娘が榛名山の榛名湖に入って大蛇になった。お供の腰元も帰れないと言って沼に入ってカニになった。カニを食べると榛名に行けない。5月5日に木部祭りといって、榛名湖にホケエに入れた赤飯を流す。ホケエは沈んで、空になってまた浮いてくるという。

話 名 大蛇,沼の主
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 北群馬郡 榛東村
要 約 狩人が榛名湖の側で獲物らしき影を撃ったら、にわかに掻き曇って霧が深くなり、狩人は気絶した。あとで撃った所にいってみたら、うろこが2枚落ちていた。沼の主の大蛇がおかに上がっていたところを撃ったのだった。

話 名 大蛇,カニ
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 北群馬郡 榛東村
要 約 木部様というお殿様の娘が榛名山の榛名湖に入って大蛇になった

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 北群馬郡 榛東村
要 約 狩人が榛名湖で獲物らしき影を撃ったら、霧が深くなり、狩人は気絶した。あとで撃った所にいってみたら、うろこが2枚落ちていた。沼の主の大蛇がおかに上がっていたところを撃ったのだった。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 吾妻郡 東吾妻町
要 約 善導寺の娘が榛名山の榛名湖に入って大蛇になった。コケ(鱗)をお供に持たせて寺へ帰した。その鱗は善導寺にある。木部様の日(5月20日)に榛名湖に箱に入れたおこわを流すと、箱は沈んで空になって浮かんでくる。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 多野郡 神流町
要 約 池の薬師に夫婦の大蛇がいて、雄が鉄砲打ちに撃ち殺された。雌の方は娘に化けてお寺に行って坊さんの話を聞き、お血脈を頂いて消えた。それからのち、その寺の坊さんが池の薬師に行って雨乞いをすると必ず雨が降る。

話 名 大蛇,那波八郎
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 甘楽
要 約 みどろが池の大蛇が毎年暴れて洪水を出すので人身御供に娘を出していた。小幡氏の娘、梅津姫が人身御供になったとき、公家の若様が通りかかり、二人で池の岩屋に行った。若君が問い掛けると大蛇は「私は那波八郎という者で、榛名の郡司の若者だったが、兄弟に図られた恨みで蛇になったのだ」と言ったので、2人でお経を唱えると、蛇は成仏して那波大明神になった。若君は姫と結ばれ、2人は白倉神社に祀られた。

話 名 (お菊の祟り)
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 富岡市 妙義町
要 約 小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。

話 名 (お菊の祟り)
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 群馬県
要 約 小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。

話 名 (お菊の祟り)
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 甘楽郡
要 約 小幡の殿様が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女や奥方の恨みを買い、菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。

話 名 蛇,竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 伊勢崎市 宮子町
要 約 阿感坊が死んだ後、太い蛇が2匹、雲から降りて家の屋根に絡まったりした。先達に見てもらうと、竜宮のお使いであるから怖がらなくて良いといわれたので、ご馳走を上げてもてなした。

話 名 オトウカ
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 桐生市 広沢町
要 約 1945~49年頃のこと。おばあさんがご祝儀の帰り、茶臼山のオトウカに山に引き込まれ、魚を取られて一晩中山の中を歩かされた。川を渡っているつもりで「おおふけえ、おおふけえ」と歩いていた。蛇の目傘をさしたきれいな娘に会ったのであいさつをしたが、娘は返事をしなかった。この娘がオトウカで、そこから化かされた。オトウカは返事をしないという。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 群馬県
要 約 善導寺の住持・道阿上人の母が、明徳4(1393)年4月8日榛名権現に参拝しての帰りに、伊香保の沼に身を投げ、はたひろ(約24m)の大蛇になった。上人が会いに行くと、鱗3枚を渡し、善導寺に水の不自由はさせないと約束した。上人は沼の辺に石碑を建立した。

話 名 大蛇
資 料 黒保根村清水の民俗 通巻18号
場 所 桐生市 黒保根村
要 約 赤堀道元という長者の娘が16歳になったとき、赤城山に行きたいというので行かせたら、大沼に入っていなくなってしまった。道元はクロクワセンチョウ(土木集団)に頼んで沼を干そうとしたら、沼の中から娘が白い牛に乗って現れて「やめてくれ」と頼んだ。娘は大蛇になったのだという。以来、16の娘は赤城に行ってはいけないことになり、5月8日の赤城の山開きには道元の家から重箱に詰めた赤飯を沼に入れている。医光寺には娘の帯があるという。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 群馬県
要 約 善導寺の住持・道阿上人の母が、明徳5(1394)年4月20日、榛名宮に参拝しての帰りに、伊香保の沼に身を投げ、角のある大蛇になった。上人が追善供養をすると、霊夢に母が現れて、元々筑紫広島池の蛇身であったが、仏道の種を得るために人間に化して人の妻となり、上人を生んだものである、よく追善供養してくれ、と言った。

話 名
資 料 中尾と平の民俗 昭和63年度号
場 所 渋川市 小野上村
要 約 榛名湖に女の人が飛び込んで、赤飯とかお餅を重箱に入れて湖に投げて供養した。その重箱の中に蛇のコケ(鱗)が入って返ってきたという。そのコケは今も原町の寺にあるという。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 群馬県
要 約 木部様というお殿様の娘が、天正13(1585)年12月27日、榛名山の池に入って大蛇になった。

話 名 現人神,大蛇
資 料 伝承文学研究 通巻50号
場 所 群馬県
要 約 無実の罪で流罪となり、3年になった満行は、もはや赦免はあるまいと嘆き菅相丞のように現人神にならんと榛名の池に身を投げる。すると忽ち大蛇となり都へ飛んでいった。内裏では五月雨の御遊の最中であったが、天にわかにかき曇り、雷がなり、弥生の前・直国を掴んで引き裂き、黒雲が御殿を覆うと帝は病となった。関白に召された横川の僧正が祈祷すると、満行は化身を表し、恨みのほどを述べる。満行を大権現と祀り、五百町の社領に寺領を加え、宮を建立することを約すと、帝は忽ち本復した。

話 名 大蛇
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 群馬郡 榛名町
要 約 木部というお殿様の妻が、伊香保の沼に入って大蛇になった。木部氏が会いに行くと、元々自分は蛇身であって、人間に化して人の妻となっていたものであり、もう一緒に帰ることはできないと言った。侍女も沼に入ってカニになった。木部氏は金子の宮を作って沼に沈めた。夏の夕立の後などに、水中に見えるという。また、木部氏の創設した善導寺は、4月8日に供物を流す。

話 名
資 料 伝承文学研究 通巻51号
場 所 群馬県
要 約 『神道集』,「上野国邦波八郎大明神事」/兄弟に殺され蛇身となった八郎満胤が、法華経の読誦により調伏される。

話 名 河童
資 料 人類科学 通巻22号
場 所 沼田市 薄根村
要 約 旧藩根村内を流れる田釜川に、「釜」とよばれる、大岩の立ち並ぶ深い淵があるが、ここは一部が竜宮に通じ、河童が住むとも語りつがれている。

話 名 龍女
資 料 近畿民俗 通巻49号
場 所 高林市,新潟県高田市
要 約 幡随院の開山である幡随意白道上人が竜女を成仏させたという話が各地にある。上州の善導寺では竜女に説法授戒して号を与えた。また、越後の善導寺でも現れた竜女に授戒し号を与えた。竜女は喜び、水火の何から守ることを誓った。

話 名 竜の鱗
資 料 近畿民俗 通巻49号
場 所 利根郡,東南条郡 片品村
要 約 竜王社には竜の鱗が祀られているという。また、白神神社の宝物にも竜の鱗があるという。

話 名 竜骨
資 料 近畿民俗 通巻49号
場 所 勢多郡 山上村
要 約 赤城山上の常光寺の宝物に竜骨がある。赤城神社の水を受けて来て、盥に竜骨を入れ、水をかけると雨が降るという。

話 名 竜の角
資 料 近畿民俗 通巻49号
場 所 勢多郡
要 約 赤城神社の宝物に竜の角がある。沼の竜神信仰と無縁ではないと思われる。

話 名
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 高崎市 木部町
要 約 木部様の娘は戦いに敗れたとき、榛名の沼に入って竜になり、家来は蟹になった。木部の人は以来蟹を食べない。木部の人が榛名の沼に雨乞いに行くと、必ず雨が降る。そのときお供えを流すと、渦を巻いて沈んでいく。

話 名
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 群馬郡 榛名町
要 約 箕輪城が落ちる時に、お姫様は沼に身を投げて竜になった。善通寺に行ってコケラ(鱗)を1枚置いてきた。

話 名 河童,竜
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 みどり市 大間々町
要 約 渡良瀬川の観音寺ヶ渕に竜と河童が住んでいた。河童は天登りしたくて竜に頼んで、竜の昇天の時に尻尾にくらいついて着いて行ったが、つい口を開けてもとの渕へ落っこちて、天登りをあきらめた。

話 名 竜宮,八百比丘尼
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 前橋市 下増田町
要 約 尼が池で尼が行をして竜宮へ行き、何かをもらって800歳まで長生きをした。その人が八百比丘尼。

話 名 竜宮,乙姫
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 伊勢崎市 宮子町
要 約 斎藤氏の先祖の阿感坊が、竜宮島の所へ藤蔓切りに行って川に落とした鉈を追いかけて、竜宮に着いた。竜宮に3日いて乙姫様から観音様・瑪瑙・玉手箱を貰って帰って来たら3年経っていた。阿感坊は口止めされていたが殿様から責められ、喋ろうとして口を開いたら死んだ。瑪瑙は宮子神社にあったが火事のとき飛び出し、木に挟まった。観音様は以前は区長が管理していたが、今は竜宮祠が管理している。玉手箱は斎藤家にある。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 伊勢崎市 宮子町
要 約 斎藤氏の先祖の阿感坊が、竜宮様へ藤蔓切りに行き、川に落とした鉈を追いかけて竜宮に着いた。竜宮に3日いて、瑪瑙は宮子神社に、観音様は竜宮様へ、玉手箱は斎藤家に持って行けといわれて、3品を貰って帰って来たら、3年経っていた。口止めされていたが跡部の殿様から責められて喋り、3日後に死んだ。殿様は気の毒に思い、コウガン寺(現在廃寺)の殿様の墓の前に葬った。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 邑楽郡 千代田町
要 約 五軒長屋の町田家の井戸は竜宮まで続いているので涸れない。田原藤太産湯の井戸とも言う。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 前橋市
要 約 広瀬川の下がり松の渕は深く、竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、この渕に頼むと貸してくれたが、ある時傷つけて返したので貸してくれなくなった。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 桐生市 梅田町
要 約 鴨渕の随道は竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、この渕に頼むと貸してくれたが、ある時欲深な人が返さなかったので貸してくれなくなった。

話 名 竜宮様
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 伊勢崎市 宮子町
要 約 竜宮の渕は、膳椀が必要なとき、この渕に頼むと貸してくれたが、ある時欲深な人が1膳返さなかったので、貸してくれなくなった。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 桐生市 黒保根町
要 約 水沼のかまのふちは竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、この渕に頼むと貸してくれた。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 沼田市 利根町
要 約 追貝の浮島の観音様の滝壷は竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、この渕に手紙を流して頼むと貸してくれた。あるとき1人前返し忘れたので、慌てて返したがもう受取って貰えず、以来貸してもくれなくなった。その膳は星野家に伝わる。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 沼田市 利根町
要 約 追貝の吹割の滝は竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、この渕に手紙を流して頼むと貸してくれた。あるとき欲深な人が1人前返さなかったので、もう貸してくれなくなった。

話 名 竜宮
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 邑楽郡 板倉町
要 約 一峯神社の権現沼は竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、この渕に手紙を流して頼むと貸してくれた。あるとき吸い物椀の蓋を割ったまま返したので、もう貸してくれなくなった。

話 名 竜神
資 料 日本民俗学 通巻179号
場 所 勢多郡 宮城村
要 約 赤城の竜神、唵佐羅摩女は、伊香保の沼(榛名湖)の竜神、吠戸羅摩女と沼をあらそう時、西(伊香保)から毛垣をとって東へ投げ、東(赤城)より軽石を河から西へ投げた。

話 名 (竜宮)
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 邑楽郡 板倉町
要 約 一峯神社の御手洗(みたらせ)の膳棚という池は竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、この渕に手紙を流して頼むと貸してくれた。あるとき吸い物椀の蓋を返さなかったので、もう貸してくれなくなった。その椀の蓋はまだある。

話 名 竜,榛名湖の主
資 料 中尾と平の民俗 昭和63年度号
場 所 渋川市 小野上村
要 約 榛名湖にお姫様が飛び込んで、竜になって榛名湖の主になってしまった。腰元も城には戻れないと榛名湖に入り、蟹になった。蟹を食べたら榛名湖には行けないと子供のころには言われた。

話 名 竜宮,亀
資 料 群馬県史 資料編27 民俗3
場 所 邑楽郡 板倉町
要 約 一峯神社の権現沼は竜宮まで続いていると言われた。膳椀が必要なとき、沼の膳棚の大きな亀に頼むと、竜宮から運んできて貸してくれた。あるとき吸い物椀の蓋を返さなかったので、亀がいなくなってしまった。

話 名
資 料 民具マンスリー 34巻6号
場 所 利根郡 水上町
要 約 応永寺の彫刻の竜が洪水を起こしたので、縛って天井に吊るした。

話 名 龍神
資 料 旅と伝説 5巻12号通巻60号
場 所 邑楽郡 館林村
要 約 幡隨意上人が説教していると、17、8歳らしい婦人が来て「私は城沼に棲む龍神の妻です。上人の高徳で済度させて下さい」という。上人が本体を現せと言うと、たちまち長さ20尋の龍となる。上人が杖でその額を撫でると婦人の姿に戻った。婦人は寺を守護すると言って井戸に入り、井戸は封じられた。

話 名 龍宮
資 料 民間伝承 8巻11号通巻89号
場 所 邑楽郡 邑楽町
要 約 寛平元年に大洪水があり、水がぬけた跡が大きな沼となった。龍宮城へ通じているといい、灯りがともったりした。手紙を書いて流せば、食器を貸してくれた。返すときも手紙に書いて流せば、椀はひとりでに沈んだ。斎藤という者が借りた盃を1つ返さなかったところ、二度と貸さなくなった。斎藤氏では、盃を家宝としている。

話 名
資 料 上毛民俗 通巻17号
場 所 館林市
要 約 昔、沼際に「龍燈の松」というのがあって、狐が沼の龍神に神燈を捧げるのが見られたと伝えられている。

群馬県の竜蛇(「怪異・妖怪伝承データベース」より)

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