頼太水

門部:日本の竜蛇:中国:2012.02.16

場所:島根県安来市広瀬町布部
収録されているシリーズ:
『日本伝説大系11』(みずうみ書房):「頼太水」
『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)
:「布部の漆かき兄弟」
タグ:生気を得る竜蛇像/竜宮淵


伝説の場所
ロード:Googleマップ

作り物の竜蛇が動き出すのは社寺の木彫りの竜だけではない。雨乞いや結界の守りのために作られた藁の竜蛇たちが生気を得ることもある。しかしこれは社寺の竜像の場合より一層難解だ。

頼太水:要約
寛永十二年のこと(一説に享保十二年とも)。布部の河原に頼太、頼次という兄弟があり、漆掻を職とし細々と暮らしていた。川の奥には雄渕、雌渕という大きな淵があり、特に雌渕は大きく、漆千本と言われる漆の密林からにじみ出る樹液が渕の底に澱み、漆柱になっていた。
しかし、渕は深く、余程の水練の達者でなければこれに手を出すことはできなかった。ところが、兄の頼太が一命をかけてこの渕底の漆柱に挑むと言いだした。弟の頼次は、あまりに危険であると兄を止めたが、頼太は聞く耳を持たなかった。
そこで、頼次は兄に恐怖心を起させ止めさせようと、藁の大蛇を作り、これを渕に沈めておいた。そして翌朝、そうとは知らぬ頼太はざんぶと雌渕へと飛び込んだ。すると、宇波九合山の天辺がにわかにかき曇り、雷鳴が轟くと同時に車軸を流すような大豪雨となった。
一帯は洪水となり下流域の能義平野も地形を一変してしまった。頼太は流され、その行方は知れなかったという。また、この洪水で布部川奥の荒神森は根こそぎ飯田原まで流され、流れ荒神と言われるようになった。
皆は頼次の藁蛇が水中で生気を得、大雨を降らせて洪水に乗じて大海に出ようとしたのだろうと思い、この洪水を頼太水と言って、後世に語り伝えた。(『広瀬町史』)

みずうみ書房『日本伝説大系11』より要約

雄渕・雌渕は今は布部ダムの底に沈んで、なくなってしまった。タイトルの写真がダム湖である。布部には『出雲国風土記』にも見る「式内:布辧神社」が鎮座しており、その上流の渕といったら相当の神域だったと思われるのだが。

式内:布辧神社
式内:布辧神社
リファレンス:魁神社巡拝記画像使用

ところで、同じようなモチーフによる話が九州・日向米良に伝わっており、『まんが日本昔ばなし』では「龍の淵」としてその米良の話を収録している。ただし、この話は出典がよく分からないので、ここで紹介・比較してしまおう(角川書店『日本の伝説31 宮崎の伝説』に「米良の上うるし」として掲載はされている)。

龍の淵:要約
昔、米良の里に漆をとって暮らしている兄弟がいた。しかし、山の漆はとりつくしてしまい、苦しい生活が続いていた。ある日、兄者は今まで踏み込んだことのない山奥にまで入り、深い淵を見つけた。
淵の脇には立派な漆の木が生えており、兄者は喜んだ。しかし、その拍子に腰の鉈を淵に落としてしまう。鉈がなければ漆とりはできぬと兄者は淵に飛び込み、鉈を探した。すると、淵の底に妙なぬめりがたまっていた。もしやと掬って水面に上がって見ると、それは上漆だった。
山々の漆を川が集め淵底にためていたのだ。兄者はこの上漆を得て金回りが良くなり、人が変わったように昼から酒を呑むようになったが、弟には淵のことは秘密にしていた。しかし、怪しんだ弟は兄者のあとをつけ、淵の上漆のことを知り、同じようにこれを売るようになった。
淵の漆に気付かれたことが悔しい兄者は、木彫りの龍を作って淵に沈め、弟を恐れさせ淵に近づかなくなるように仕掛けた。見事に弟は木彫りの龍に驚き、一目散に淵から逃げた。が、しめしめと漆を独占しようと潜った兄者は、木彫りであるはずの龍に襲われる。
なぜか木彫りの龍が生気を得、生きた龍になってしまったのだ。兄者は命からがら何とか逃げたが、もう淵に潜ることはできなくなってしまった。今でも、この米良の淵には竜が住むと伝わっている。

『まんが日本昔ばなし』「龍の淵」より要約

『まんが日本昔ばなし』「龍の淵」
『まんが日本昔ばなし』「龍の淵」

もっとも、出典が分からないといっても、知る人ぞ知る話だからというのではなく逆にあまりにも膾炙した話だからということのようだ。伝説というより民話・昔話に昇華しつつある話ということで、国語の教科書にも載っていたらしい。

兄が欲に駆られて木彫りの竜を淵に仕掛けるということで筋は違うのだが(洪水の話もない)、漆のたまる淵で作り物の竜蛇が生気を得るというモチーフが別々に発生するとも思えないので同根の話だろう。福井にも類話があり、そこでは強欲な商人が竜像で人の寄らぬようにし云々となっている。

そして、米良の話がより原型に近いのだとすると、これは一種の竜宮譚なのだ。鉈を落として淵に探しに潜る所など定型的だ。富をもたらす竜宮と乙姫が漆に置換されている話なのだと思われる。朝日長者伝説などで「朝日さす丘に漆千杯」とうたわれるように漆は宝だ。

布部の話は洪水の原因を語るわけではない漆掻(兄弟)と作り物の竜蛇の話がもとにあって伝わっており、そこに洪水が起ったので洪水の原因譚として再構成された、ということになるだろうか。大体藁蛇が生気を得る話というのはその蛇を作って雨乞いをしたら雨が降りすぎて大水になってしまったので以後そのような祭を禁じた、という次第となるものである。布部の話はこの話型が接続した、という観は強い。

こうしてみると洪水のモチーフを外して藁蛇・木彫りの龍が生気を得る理由は「その淵が竜宮だったから」ということになるのだろうか。このあたりがよく分からない所である。もしそうなら「〝竜宮空間〟に近づきすぎると作り物の竜蛇も生を得る」という汎用の効きそうなイメージが得られるのだが、中々一足飛びにはいかない。

memo

頼太水 2012.02.16

中国地方: