気多の大蛇

門部:日本の竜蛇:中部:2012.01.11

場所:石川県羽咋市 気多大社
収録されているシリーズ:
『日本の伝説7 北陸』(山田書院):「気多の大蛇」
タグ:討伐される竜蛇


伝説の場所
ロード:Googleマップ

竜蛇を神が成敗する話には、氏族間の抗争の色合いが強いものが多い。竜蛇神を奉ずる一族が平定されればその伝説は(勝った氏族の)神による邪竜の成敗、という話となる。

大国主命というと「あっちゃこっちゃで嫁さんとっかえひっかえした色男」というイメージであるようだが、諸国平定の神話が伝えるように各地で奮戦してもいる。能登の国にさしかかった時、命の前には大毒蛇が立ちふさがった。北陸神社の雄、気多大社に伝わる伝説である。

気多の大蛇:要約
神代の頃。大国主命は諸国を巡行しながら、各地に跳梁跋扈する妖怪変化を退治していた。旅から旅へ日を重ねるうち、命は能登国へやって来たが、〝大蛇潟(おろちがた)〟に棲む巨大な毒蛇をはじめ、もろもろの妖怪どもが、我が物顔に暴れ回っていた。
これは簡単に片付きそうもないと考えた命は、鹿島郡神門島の御門主比古神のところに腰を据えた。御門主比古神は大国主命の来訪を心から喜んだ。命が妖怪を退治してくれれば、この能登も平和になるに違いない。そこで珍しい鵜の料理などを捧げて命を大いにもてなした。
大国主命は早速、七尾の小丸山から鳳至、珠洲にいたる付近一帯の妖怪どもを討ち平らげ、あらためて現在の気多大社のところに行宮を造営し、国中の諸神を呼び集めた。強敵大蛇潟の毒蛇一味に一大決戦を挑むためである。
戦闘が開始されると一瞬にして大蛇潟は修羅の巷と化した。大蛇潟の主の大蛇は、ただひと呑みとばかりに大国主命に襲い掛かってきたが、命は少しも恐れず戦い、見事に大蛇を退治した。大将格の大蛇が討たれたので、妖怪一味は浮き足立ち、間もなく蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまった。
こうして能登国は、庶民安住の地となったが、なお大事をとって命は数年の間ここに留まった。そして能登を去るに当たり、再び妖怪どもが蜂起せぬよう〝神霊〟を留めていった。

山田書院『日本の伝説7 北陸』(日本伝説拾遺会)より要約

気多大社の通称『古縁起』に伝わる伝説で、現在の気多大社の祭祀の由来ともなっている。「越中北島の魔王が鳥に化して人民を害し、鹿島路湖水には大蛇が出現して人民を苦しめていた」というのだから「跳梁跋扈」と描かれるのも無理もない。気多大社そのものについてはこちらを。

「気多大社」(webサイト「玄松子の記憶」)

気多大社
気多大社
レンタル:Panoramio画像使用

しかし一方で気多大社には通称『嶋廻縁起』という別系の縁起があるようで、(私はまだ実際の内容は読んでいないのだが)漂着した王子が能登半島を廻国して現社地近くに到達するという一種の漂着神伝承でもあるようだ。

このあたり能登の古代史は謎な部分が多く、どの話が史的にどう対応すると言えるものでもないが、相当大規模な「平定」の記憶が伝わって来たのだという印象はある。「龍学」的には大毒蛇はまたその蛇神を祀っていた人々のことでもあろう、その人々はその後どうしたのだろう、という点が大変気になる。

能登半島周辺は、神と祀るもの、邪と封じるもの、双方の竜蛇譚が大変濃い。それら全体を見渡して浮かび上がる物語に今から大きな期待をしている。

memo

気多の大蛇 2012.01.11

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