赤い魚にまつわる話

門部:陸奥・常陸編:2011.04.14

清流や池、井戸に「赤い魚」がおって、これを呑んでしまうことにより人間が異形化する話がちらほらと見えていて気になっている。

八郎潟の八郎

基本的な筋は……有名なので割愛。この話の冒頭、八郎が大蛇(竜)になってしまう理由として、イワナを食べて喉が渇いて、沢の水を飲んでも飲んでも渇きが癒えず……というのがある。

このモチーフは八郎伝説に限らず広く見られる。田沢湖の辰子姫も不老を願った挙げ句喉の渇きが癒えなくなるし、より一般的には蛇の味噌漬けを食べ過ぎて喉の渇きが止まらなくなり……というものが多い。

しかし、代表的な説話では、八郎が「仲間(兄弟)の分のイワナを食べてしまい」という理由になっているのだけれど、私はこれがイマイチ気に入らなかった(笑)。「欲の戒め」というモチーフがどうも怪しい。そんな感じで岩手の方の八郎譚をあれこれ読んでいたら、ちょっと気になるパタンが見つかった。

八郎太郎:九戸郡山形村:
(前略)太郎は急に水がのみたくなり、急いで川におり、両手で水をすくってのもうとしたじょう。ところが、手の中に、赤い岩魚がピチピチと、とびはねていだったじょう。驚き、その水を捨て、別の水をすくったじょう。やっぱり、手の中には赤い岩魚が入っていだったじょう。何回も何回も同じことをくりかえしていだったじょうども、とうとうがまんしきれず、太郎はその岩魚のまま、水をのんでしまったじょう。その水が、ぐぐっとのどをうるおしたのでここちよくなり、すっかり岩魚のことは忘れて、すくってはのみ、すくってはのんだじょう。その水は、口もとけるほどおいしかったじょう。こうして、何度も何度も同じことをくりかえしていだったじょうども、ますますのどがかわいできだじょう。

『日本昔話通観3岩手』より引用

以降略。という次第で八郎太郎は大蛇となっていく。川に降りる前に岩魚を食べているのは多くの話と同じだが、独り占めということはなく兄弟たちと食べている。ここには独り占めという欲を戒めるコードはない。「赤い岩魚」が核なのだ。

ここで九戸郡の話をもう一件。こちらでは八郎は大蛇(竜)にならない。実はそういった「竜にならない八郎」の話もちらほら分布しているのだ。

類話3:九戸郡野田村:
安家森の岳山に百姓の子供が二人いた。兄の八郎太郎が谷川でジャッコ(雑魚)をとっているとき、赤いジャッコをつかまえてのみこみ、急にのどがかわいたので水を飲むと、飲むだけ大きくなる。一年もすると相撲とりほどに、二年もすると山のような大男になる。八郎太郎は家を出て野田海岸に来ると、藤やぶどうやあぐび(あけび)の蔓を集めて縄をない、七ッ森、高森、和佐羅比山、小倉山、三崎山を背負ってくる。最後に端神岳を背負うとき、縄が切れる。八郎太郎は力抜けして西のほうに去った。

『日本昔話通観3岩手』より引用

さて、赤い岩魚・赤いジャッコとはなんだろう。八郎が大蛇となったり、山を背負うような大男となる直接の理由としてこの「赤い魚」が出てきている。無論その意味など直ちには分からないが、周辺には八郎以外にも「赤い魚」を呑んで異形化したものたちの話があるのだ。

掃部長者の女房、その他

「掃部長者と佐用姫」に見た、竜(大蛇)と化した岩手胆沢の掃部長者の女房も「赤い魚」を食べることが契機となって異形化している。

類話:
(前略)或日の事一下女井戸端に水を汲みに行きぬ。井戸端水中に一赤魚を発見せり。あな物珍らしさにそれを捕え来りて、味噌をくるみ焼き居れるが、余りの激香により奥より長者の妻出で来り、赤魚(鯉)を美味しく喰えり。(『南都田郷土史』)

『日本伝説大系2』より引用

と、『大系2』の「掃部長者」の類話の方にあった。その後は例によって急に喉が渇き出して云々……という次第で掃部長者の女房は大蛇となる。八郎潟の八郎伝説のモチーフ同様「欲の戒め」っぽいが、掃部長者伝説そのものが仏教説話としての再編集の色が濃いものなので、女房が竜と化す次第と赤い魚の関係も「欲」のコードとは関係のない根かもしれない。

また、話が飛ぶ上にこれはこれで長くなるので端折るが、宮城の青麻神社の縁起で、常陸坊海尊が、衣川の上流で不思議な老人にもてなされ、この時食べた珍魚「赤魚の料理」のために不老不死となった、というものがある。

さらに、やはりこの「赤い魚」は東北一帯に広くあるようで、『大系3』の山形「よぞう沼」でも語られる。これは八郎伝説の前半だけのような話で、よぞう(与蔵)が沼で「赤い魚」を飲んでしまい蛇となり、沼の主となる話。

いずれにしてもこれらの地域には「赤い魚」を呑む・食べることにより人間が異形となるというコードが共有されていると見て良いだろう。八百比丘尼伝説に見える人魚の肉とイメージが類似している気もする。

それが何に由来し、何を意味するのかはこれからより広く見聞し、とくと考えねばならぬことだが、異形が神と人の間であるならば、「赤い魚」はそれを繋ぐ何ものかであると言える。

赤い魚にまつわる話 2011.04.14

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