蟹と蛇にまつわる話

門部:陸奥・常陸編:2011.04.14

出産の後、赤子に蟹を這わせたりする民俗が沖縄などにある。蟹が脱皮(脱殻)をする生き物であることから、その生命力を新生児に与えようという類感呪術だろう、とされる。

本土にも入ってきていたようで、『古語拾遺』に見る話や、出産に携わる掃守(かもり)の話などが twitter 周辺で現在も進行中だ。また、平安貴族は赤子の着物に蟹の模様をあしらった「蟹取小袖」を着せた、なんてのもある。

蟹と娘

そのような流れがあって、東北でも掃部(かもん)長者などその関係が勘案されてきているのだけれど、さらに興味深い伝承があった。もとより東北には「蛇婿入り譚」が多いのだが、その中の類型としての「蟹報恩譚」というのも又かなり目につく。

娘が蛇婿に取り込まれそうになる間一髪で、かつて娘が助けた蟹が仲間を連れて現われ、大蛇を倒してしまう。この蟹はかつて蛇に食われそうになっていたところを娘に助けられておって……というのが多いのだが、「蟹と娘」の親密さの方を強調した話もあるのだ。

「蟹沼」秋田県由利郡由利町:
町村の中山に、カニ沼という約一ヘクタールばかりの大沼があった。(中略)沼の近くに村があり、長者が居て、長者には美しい娘が生まれた。娘は夜泣きの癖がついて乳母が困ったあげく、庭園の入水近く遊ぶ子ガニを、おもちゃにさせた。それから娘の夜泣きは止まり、すくすく成長した。カニも娘から食べ物と愛情を与えられて殊のほかに大きく成長しカニの家族も無数にふえた。カニは沼に移り巨石の島でよく甲羅干しをして昼寝をしていた。娘は成人近くまで沼の大ガニと遊びたわむれるのを常とした。やがて、嵐の一夜どこからか大ヘビが現われて娘に危害を加えようとするのを、大ガニ一族が助けたという伝説である。(『由利町史』)

『日本伝説大系2』より引用

もう大蛇の話しは付け足しのきらいがある。あるいは「蛇婿入り−蟹報恩譚」には、こういった下敷きがもっと多くあったのではないか、蟹と新生児の関係が忘れられるのに連れて変質したんではないか、と思えるくらいに印象的な話である。

こうなってくると「脱皮(脱殻)」だけではなく、子供の「守護」という役割も色濃いわけで、「ハサミ」のモチーフがクローズアップされてくるのかもしれない。少し土地が飛ぶが、群馬県にはまさに「蛇と化した姫のお供たちが姫を守るために蟹となった」話があるのだ。

榛名湖の木部姫

蟹と蛇に関しては有名な話が群馬榛名湖にある。ちょっと難解かつ広域な話で、その意味する所などに関して私はまったくわかっていないのだけれど、これは知っておかないといけない。ちなみに榛名湖の西の山は「掃部ヶ岳(かもがたけ)」である。

「榛名湖の木部姫」:
むかし、木部様というお殿様(高崎市木部町)のうちのお姫様が病気になって、榛名さんにお願をかけたんですね。そして、お願果しにお駕籠に乗って行ったわけですね。そしたら、榛名湖のそばへ寄って、「お水で遊びたいからおろしてくれ」と言ったんですって。それでぬまのそばまで行ったらば、沼の中へずっと沈んで行ったんですって。そして、真ん中ごろまで行って、大蛇になってあらわれたんですって。「わたしは、こういう姿になったんだから帰ってくれ」って。お供の者は、お姫様がそんな姿では帰れないって、蟹になって、沼のまわりのクズ葉でもはらったりして、お姫様を守ろうとしているんですって。だから、蟹を食べると、榛名へ行けないといった。それから、榛名さんの関係の人たちは、五月五日には、榛名湖の中へ、ホケエ(行器・ほかい)に赤飯を入れて流してやるんですって。(後略)(『群馬県史』)

『日本伝説大系4』より引用

後半はこの姫蛇が長年寺の井戸に移っての話になる。やがて姫蛇は昇天して、代わりの湖の主として鯉を残して行く。で、榛名湖周辺ではやはりというか「子が育つように」という信仰と結びついているのだ。

「榛名湖の木部姫」末尾:
このあたりでは、子供が数え二歳になると、榛名神社へお参りに連れて行き、榛名湖へまわってきます。榛名湖の緋鯉と真鯉が子供を守ってくれて、子供は丈夫に育つと言っています。時期は五月の節句の時です。(『群馬県史』)

『日本伝説大系4』より引用

色々話のパタンはあるけれど、大概「お供のものども(侍)が蟹となる」のだ。で、姫蛇を守っているというのだけれど、具体的には「掃除をする」。湖に落ち込む落ち葉などを除去する、ということをやっておると語られる。これは「箒」を又一方の象徴とする掃守氏を暗示してると考えざるを得ないだろう。

先に述べたように底が繋がっているという長年寺の井戸に舞台が移ったり、善導寺の何代か前のおばあさんは、榛名湖の主だったという話しになったりとこの話は広がって行く。また、木部の姫は入水するとき「十六歳」だったという話も多い。各地で人身御供にされる娘が「十六歳」であることが注目されているが、これもそこに繋がっていくだろう。

またさらに、(ここでは榛名湖の)「はる」の音が蛇のなんかと通じるのではという話も出ており(蛇息子の「はる」)、その辺も勘案せんとイカン……等々タイヘンで、直接手が出るのかいつになるやらだけれど、東北の掃部長者のことや蟹たちのことを考えて行く上で、この話を参照せんわけにはいかない、ということであげておいた。いずれにしても、このように「守護する」というコードが前面に出ている「蟹と娘」があるのだ。

そして、最後になるが、掃守氏の話からは出ていないのが「蛇と蟹」が普通にまとめて語られていることだ。「龍学」では吉野裕子の「蛇・蟹が脱皮するものであり、ともに産育を象徴する」という路線を踏んでいるので当たり前のようだが、蛇と蟹が確実に(特に産喪において)連絡する風習などどこにも無い。

しかし、ことほど左様に「蟹と蛇」が一緒に民話伝説上で語られている以上は、そこにはやはり何か連絡があるのだろう。これから一方で「蟹と蛇の戦い」の様相も見ていくことになるが、それらの中から蛇と蟹を繋ぐ糸が見えてくることを期待している。

蟹と蛇にまつわる話 2011.04.14

陸奥・常陸編: