竜宮からの富

門部:陸奥・常陸編:2011.03.26

九州を中心に海辺の地方には「竜宮童子」の話がある。竜宮から贈られた童子が福をもたらす。一般に「はなたれ小僧さま」の名で有名だ。一方内陸部には「火男(ひょっとこ・ひょうとく)」の話がある。山中隠れ里から贈られる醜い子のヘソを火箸でつつくと金が出る。

大概は「はなたれ小僧さま」では「はなをかめ」と強要して小僧様が盛大にはなをかんだ途端に家は貧乏に戻り小僧様はいなくなる。「火男」では欲ばりな婆さまが火箸でヘソをつきすぎてしまい「ひょうとく」が死んでしまう。その後火男(ひょうとく)の面を竃の上に掛けて祀る事になり、竃神の由来となったりする。

この二つの話は海辺と内陸という生活条件によって舞台装置の変わった本来同根の話と言えよう。話はじめも大概お爺さんが刈った柴の残りを川に流す・山中の穴に投じるとそのお礼にはなたれ小僧・ひょうとくが贈られる、という同様な結構となっている。

よく知られた話では竜宮童子譚は小僧さまが去って終ってしまうが、竃に関係して行く面もある。端的に竃神の由来として竜宮童子が語れるものも少なくないし、漁師たちの家では多く、竃の上に「エビス」を祀る。はなたれ小僧さまが好む食べ物が「海老のなます」とされる事が多いが、これはエビスの暗示だろう。もっとも、だから直ちに竜宮童子がエビスであるとはいかないが、竃神・火男・荒神・エビス(ダイコク)・竜宮童子が緩やかな繋がりを持ちながら竃・異界・富といったキーワードに接続している事は見えるだろう。

宮城や福島では多くは内陸の側に典型的な「ひょうとく譚」を濃く伝えているが、おそらく海の側の話と思われる「竜宮童子」の話もある(残念ながら採取地の記述が「宮城」としかない)。それを紹介してみよう。タイトルは「竜宮童子」であるが、出てくるのは「六尺ばかりの大男」である。

竜宮童子:
昔、貧乏だけど気の良い爺さまと婆さまがいた。爺さまは木切りをして町に行って売っていた。そして年末には「竜宮さまさ上げ申す。今年もお陰さんで無事に過ごしすた」と言い、残り物の木を川に流していた。

ある年越しの晩、六尺ばかりの醜い大男が「竜宮からお使いにまいりすた」と言って家に入って来、竃のそばに行って物も言わずに坐り込んだ。爺さまと婆さまはあっけにとられたものの、悪い顔ひとつしないで男を置いてご飯を与えた。

しかし、米櫃の底も見えてきて困った事になったなと思っていたある朝、男の姿が消えていた。婆さまが暗い中竃のほうを見ると、どっさりと糞のようなものがあって、爺さまに「起きてみでけさえん」と頼んだ。爺さまが唐鍬で片付けようとすると、ガチリと音がする。石のような糞だと明かりをつけてみたら、なんとそれは金の塊だった。

爺さまと婆さまは喜び、それから男の似顔を臼餅柱(大黒柱)に掛けて朝晩拝んだ。これが今の釜男(かまど神)なんだという。

研秀出版『日本の民話3』より要約

さて、このような「竜宮からの富」を語る話は色々なものがあるが、上に示した「童子」となにがしかの関係があるのではないかと思われる系統に「沼の主の手紙」というものもある。

ある沼のほとりを通りがかった男が、その沼の主から遠方の沼の主へのお使い(手紙や小箱など)を頼まれる。お使いを果たすと褒美に沼底の御殿(竜宮)にある宝物がもたらされる。この系統の話がまた東北には多い。その一例をあげてみよう。

黄金の駒:
昔、会津磐梯山の麓に倉吉という若者が住んでいた。生まれつき漁が好きで、毎日釣りをして暮らしていた。ある時、いつもの釣り場の御鏡沼へ行くと、にわかに黒雲が出て沼には大波が立ち、すさまじい景色となった。倉吉が驚いていると一人の美女が現われ頼み事をする。備前の貝殻の沼の黒人(くろんど)に状箱を届けてほしいと言う。また、黒人が礼をよこすから、黄金の駒を貰ってきてほしいと言う。

倉吉はこれは大蛇の化身に違いないと恐れて引き受け、何日も歩いて備前の貝殻の沼へ行った。話の通りに黒人を呼ぶと一人の美少年が現われた。倉吉が状箱を渡すと少年は沼の中の御殿へ倉吉を招き、労をねぎらった。倉吉は話どおりに礼の黄金の駒を貰うと御鏡沼へ戻った。

御鏡沼の美女は喜び、黄金の駒は倉吉にあげようと言う。毎日米を三粒やれば金貨を生み出すのだと言う。日がたつにつれ倉吉は富み、長者となった。しかし、欲深くなった倉吉が沢山の米を黄金の駒に食べさせた所、駒は勇み立ちどこともなく姿を消してしまい、やがて倉吉は家も身も滅びてしまった。

しばらく過ぎて、一人の百姓が山の頂に黄金の光を見、登ってみると、馬頭観音があった。

未来社『福島の民話』より要約

お国柄ということでもたらされるものが馬だけれど、全国的には犬である事が多いだろうか。話によっては「途中手紙や箱を覗いてはいけない」という面が強調されるものとなり、見てしまって不幸が訪れる、という展開へ進むものもある。それはともかくこの「金の糞をする馬(犬)」は上で見た竜宮や山中隠れ里から贈られる「童子」と近い存在であると思う。この他竜宮から贈られる富には尽きぬ水差し・尽きぬ銭さし・打ち出の小槌・糸巻き・石臼・貸される椀……等々とあるが、これら「アイテム」の系統と今回の童子や駒の話は一線を画す観がある。

それは小槌や臼などのマジックアイテムが富を生み出す話が時代の下ったもののように思えるのに対し、やはり糞・ヘソ・鼻水といった身体性から富がもたらされているという今回あげた話の共通点が「竜宮からの富」の原型を示しているように思うからだ。この「童子譚」と「お使い譚」の双方が隣り合って(あるいは同一地域に)分布している土地というのは大変面白いと言えるだろう。

そしてまた、もたらされるものが石臼であったり、別の系統の話へ進むものもあったりと時代的に下るようなバリエーションも豊富な土地である。「竜宮からの富」とはなにか。この点に関しても東北の地はその原型と、その変遷との双方に興味深い視座を提供してくれるのではないかと思う。

竜宮からの富 2011.03.26

陸奥・常陸編: