鯨と竜蛇、そして「タラ」の婿入

門部:陸奥・常陸編:2011.03.23

漁師の信仰として海からの幸を象徴する「えびす」が広くあるが、鯛を抱え釣竿を持った所謂「エビスさん」だけでなく、鯨や大形の鮫などが小魚の群を湾内に追い込んでくれることからこれを「えびす・えびす鯨」などといってありがたがり、また信仰する。

一方海神の化身・使神として竜蛇神があり、竜宮の主・竜神竜王として現代の漁師に至るまで「えべっさん」同様その信仰は続いている。また、漁を止め、内陸に入り農耕をはじめた人々にも水神として竜蛇神への信仰が続いている様子がまま見られる(無論元からの農耕民に取っての水神=竜蛇神の信仰もあるが)。

さて、この漁師たちにとっての代表的な二つの神格は、どことなく似ているようで実はあまり接続しない。鯨と竜蛇が互換可能であるような民話伝説、あるいは祀られる神格というのがないのだ。「えびす竜・えびす蛇」というのは聞かないし、「竜宮鯨」というのもまた聞かない。

辛うじて事代主命が双方にまたがるイメージを持っているが、やはり竜蛇神寄りであって、事代主命=えびすを強く重ねる地域はあっても鯨を事代主命の示顕だと捉えるケースは今の所聞かない。

しかし、では竜蛇と実際海に棲む大きな魚(鯨も含めて)とはまったく別のコードなのかというと、海中からその巨躯を現す鯨の神性などは竜蛇神のイメージに近いものを持っているからこそ信仰されるのだろうとも思う。また、別の切り口ではあるが、竜宮の乙姫との婚姻譚(竜宮女房)が、竜女から人魚へと変遷しているケースというのはまま見られる。竜蛇と魚というのは連続性を持った表象ではあるのだ。

そんなわけで「えびす(鯨など)」と「竜蛇」の間をつなぐ(あるいは分ける)ヒントになるようなケースはないかと思っていたのだけれど、少し怪しいものが陸前本吉郡南三陸町にあった。

志津川の鯨:
志津川町とその南にある北上町(桃生郡)の境にある神割崎では、真っ二つに割れたような巨岩が荒波を砕いている。この岩についての伝説がある。むかし、この海岸に鯨が打ち上げられたたが、周辺の二つのムラの境界がさだかでなかったので、両村で鯨の取り合いが起こった。その夜、岬が二つに割れ、鯨も二つになっていた。村人は神の裁きであろうとして、鯨を分け合い、以後、この岩を両村の境とした、という。

小学館『海と列島文化7 黒潮の道』より引用

高野山の大蛇:
入谷地区の北東にある神行堂山は一名高野山と言い、昔弘法大師が開山を果たせずに去った山と伝わる。あるときこの山の麓に大岩に大蛇が棲みつき里を荒らすようになった。困った人々が高野山に願掛けして退治に乗り出すと、にわかに嵐となって暗雲の中から大蛇が現われた。人々は鍬や鎌をふりあげ大蛇を取り囲み巨石まで追いつめたものの、大蛇も巨石の上にわだかまって人々を睨みつけ、膠着する。すると、眩い閃光が走り、大地が揺れた。人々が顔を上げて見ると、大蛇は岩もろとも真っ二つに裂けて死んでいた。以後、人々はこの裂けた巨石を御神体として高野山大権現を祀った。

web『南三陸町観光協会』より要約

陸前本吉郡周辺
陸前本吉郡周辺
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これをもって直ちにどちらがどちらの原形であったのだというようなことは言えないが、この志津川周辺では竜蛇も鯨もともに海神格として祀られているという点は重要だろう。同志津川湾の荒島は今は綿津見神や豊玉姫命を祀る荒島神社が鎮座するが、昔は漁師が海上から遥拝する弁天宮があったという。そしてこの島にも大蛇伝説があり、もとは竜蛇神を祀っていたのだろうと思われる。

北に上れば気仙沼市の唐桑半島に御崎神社が鎮座し、陰陽の鯨石を祀っている。また、御崎神社の神使は白鯨といわれている。南に下れば牡鹿半島の先には金華山が浮ぶが、ここは陸前の漁師たちにとって一二を争う重要な信仰地であって、海竜神を祀り竜蔵権現とも称した。つまり少し広く見てみても同じようなニッチを鯨と竜蛇の双方が受け持っている土地だということなのだ。

そして、これは最初に述べた「別の切り口(異類婚)」の視点からも見えるものがある。

タラの婿入:
むかし、志津川の毒川流域に館があり、城主には姫がいた。姫には、毎夜通ってくる若者があった。しかし、その肌が冷たいので不審に思い、乳母の忠告どおり、男の袴に糸をつけた針をさした。以後、男は来なくなったが、糸をたどると、岸辺で大鱈が死んでいた。姫が嘆き悲しみ海に身を投ずると、姫岩になった。そのタラが流れついたのが気仙沼にある松岩である、というものである。そして、不漁の年でも姫岩付近でタラが獲れるのは、毎年、タラが岩になった姫の霊に詣でるためである、という。

小学館『海と列島文化7 黒潮の道』より引用

より南の日本各地ではまず蛇婿入りとして語られる話の「鱈版」である。ご丁寧に「袴に糸をつけた針をさし」て、三輪山系の婿入り伝説となっている(苧環型という蛇婿譚での典型的な型)。北の遠野には鮭を一族の祖とする話があったり、また鰻を神使とするウンナン様信仰があったりもするが、その辺りも竜蛇の信仰が魚類への信仰へ変遷する流れと関係あるかもしれない。

世界的には竜蛇への信仰であったものが北の寒冷地に伝播する過程で(寒くなるほど蛇はいなくなる)、より実際にその土地に存在する他の生き物への信仰へそのポジションを譲るケースというのがままある。あるいは今回の話はそんなケースなのかもしれない。またあるいは、より北のアイヌからイヌイットの土地にかけては標準的に鯨や魚が神の位置に来るが、そういった北海の信仰と南からの信仰の接点である、ということであるのかもしれない。

いずれにしてもこの土地(海)に、竜蛇と鯨や魚の境界が極めて薄くなっている信仰空間が存在していることは間違いないだろう。この辺りの変化や差異の様相を良く見て行くことは、より南に見られる「えびすと竜蛇」の共通点と相違点を見極める視点の一つになるのではないか、そんな期待をしている。

鯨と竜蛇、そして「タラ」の婿入 2011.03.23

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