東方からの薬師を望む海

門部:陸奥・常陸編:2011.03.18

今回の大震災及び津波で壊滅的な打撃を受けた宮城県本吉郡一帯は、東方瑠璃光浄土からの救いを切望する土地だった。この海岸一帯に「クスシ神社」という神社が連なっている。

クスシ神社群
クスシ神社群
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どれも小社で、現状詳しい由緒は分からない。地図上の吹き出し内にそれぞれ宮城県神社庁のサイトへのリンクを貼っておいたので参照されたい。詳しくは分からないのだが、皆もと「薬師堂」であり、これを明治の神仏分離の際「クスシ(久須師・久須志・玖須師)」としたのだとされている。神としては「少彦名命」が祀られることになった。

しかし、これはそんな最近の動向だけでこうなっているのだろうか。ここで直ちに連想されるのは常陸国の少彦名命と薬師の事例だ。

茨城県大洗町の式内社「大洗磯前神社」は、856年(斉衡3年)に海岸に出現した二つの奇妙な石を託宣により大奈母知・少比古奈命の神の示顕であったとし、創建された。大奈母知命(大己貴命・大国主命)はその神話から薬剤の神ともされ、薬師如来と習合する。大洗磯前神社の主祭神は大己貴命だが、延喜式神名帳には「大洗薬師菩薩神社」と記載されている(ちなみに少比古奈命の方はひたちなか市の酒列磯前神社に分霊された)。

つまり海より来る「大己貴命・少彦名命・薬師如来」の連絡した構造を望み、祀る、という次第が強くあったわけだ。これが直ちに平安の昔に陸前まで延びていたのかどうかは分からないが、上記の宮城県本吉郡一帯の「クスシ神社」郡は発想的には大変近しいものを感じる。

もうひとつ似たものに同じく大己貴命・少彦名命を海上よりの医療の神と望む「淡嶋信仰」の系譜もあるが、いずれにしてもこの土地が東海上に何を見ていたのかは最初に見た神社の並びからも痛いほど分かるだろう。大災害をもたらす海と救いをもたらす海。やはり、そのイメージはどこまでも表裏をなす。

メモ:

伊豆伊東市に式内「久豆彌神社」であるところの「葛見神社」が鎮座している。名の通り「楠」への信仰の社だっただろうとされ、境内には国天然記念物の大楠もある。が、一方この式内:久豆彌神社の論社には熱海市の「湯前神社」の名もあがる。こちらは少彦名命がこの地にもたらした薬効のある「温泉」への信仰であり、少彦名命を祀る。

珍しく二つの論社でその信仰基盤がまるで異なるのだけれど、伊豆に見る「キノミヤ信仰」が、楠を祀り、海上から来たる神を祀るものである事を考えると、あるいは繋がるのか、とも思う(さらに言えば伊豆三嶋神は垂迹では薬師となる)。

陸前には楠はなかろうとイメージするが、楠はわからないが「タブの木」はある。しかも信仰されている。気仙沼市の「御崎神社」周辺にはタブの木が繁茂しているとあり、分布の北限でもあるという。あるいは伊豆に見るあれこれの連絡が陸前まで延びている可能性もないではない。

黒潮の流れは確実に届いている。

東方からの薬師を望む海 2011.03.18

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