蛇の子・貞任

門部:陸奥・常陸編:2011.03.17

過去再三「蛇女房譚」は、その子(母蛇と人間の父の間の子)が人並みはずれた存在になることを本来語る物語であったはずだ、と言ってきたが、なんとその典型が陸前石巻にあった。しかもその子とは安倍貞任(あべのさだとう)のことである。これは要するに私の不勉強の致す所に他ならない(笑)。

安倍貞任とは十一世紀初頭の北上川流域の豪族で、前九年の役の反乱を起こし、朝廷から派遣された源頼義・義家父子と激突した歴史上の人物の安倍貞任その人のことである。歴史的には当然貞任は人の子であって、前九年の役では父・安倍頼時の代から戦っているのだが、出生の伝説がまた別にあるのだ。

万石浦付近地図
万石浦付近地図
フリー:画像使用

石巻に伝わるその安倍貞任の出生譚とはこうである。

昔万石浦の西、渡波(わたのは)近くの苔浦に岡太夫という腕の良い猟師がいた。ある時岡太夫が狩り場の大蛇ヶ峰の大似田山に登ると、美しい娘が現れた。娘は山奥の木こりの娘だと名乗り、岡太夫の見事な弓の業に見ほれていたという。以後二人は大似田山で再三逢瀬をするようになり、やがて娘は身籠った。

しかし、産み月を迎えた娘は「お産から百日決して産室の鹿小屋を見ないように」と言う。岡太夫は言われたとおりに他の狩り場で猟をしていたが、二十一日目の夜、辛抱できずに小屋を覗いてしまう。すると、大蛇がとぐろを巻いて、赤ん坊を舌で舐めていた。驚きのあまり岡太夫は声を上げ山を駆け下り、正体を見られた大蛇は、赤ん坊を小屋に残して去ってしまった。

気をとり直した岡太夫は小屋に戻り赤ん坊を抱き上げて帰り、大事に育てた。大蛇の腹から生まれた子は人を射すくめるような目をした九尺五寸もある豪傑に育ち、安倍次郎貞任と称し、館を大蛇ヶ峰の京ヶ森に築いた。

『日本の民話 3』研秀出版 より要約

なんともねぇ。母蛇が目玉を差出すというモチーフがないが、まずは蛇女房譚と言えるだろう。

苔浦はこの大蛇が鱗を落して行った所から鱗(こけら)浦と言ったのが苔浦に転訛したのだと言われているそうだが、この土地には「苔浦薬」という貞任直伝の家伝薬が伝わっていたという。あるいはこの辺に「目玉」のモチーフが転流しているのかもしれない。

常陸から陸奥はざっと目を通しただけでもキリがないほどに竜蛇譚が出てきそうな雰囲気ではあるが(なんせ気仙沼の北を走るJR大船渡線の二つ名が「ドラゴンレール」である)、喉から手が出るほど欲しかった「蛇女房から生まれる英雄」の話があったとは。先頭に述べた通り単なる私の無知のなせる話ではあるが、まずは「龍学 陸奥・常陸編」の開幕ホームランと言えるだろう。

参考・蛇女房譚について

典型的なあらすじ:
昔、ある男が倒れている女を家に連れ帰った。行くあてもないという女を家に置き、やがて二人は夫婦となっておかかは子を身籠った。しかし、おかかは納屋にこもって子が生まれるまで決して覗かぬ様にと旦那に言う。旦那は辛抱したが、赤児の泣き声が聞こえたのに我慢がならず覗いてしまった。果たして子を抱いているのは白蛇であった。自分は山の神の怒りに触れ蛇にされた女であると明かし、正体を知られたからには…と、自分の片眼を子に残し、白蛇は山へ去る。その目玉を舐めている限り子はムズがらずよく育ったが、ついにしゃぶりつくしてしまった。旦那は困って子を背負って山奥の沼へ行き、おかかの白蛇を呼び出すと訳を話した。白蛇はもう片方の目玉も子に渡し、これでもう自分はまったく目が見えなくなってしまったので、朝晩鐘をついて時間を報せてください、と言って沼の奥へと去った。

メモ:
九州から広がった海人族の緒方氏が蛇祖伝説を持つが、下ってこの緒方氏に「家宝の目玉」の話が見える。緒方某が家宝に蛇祖の形見を継承しておると言い、酒の席でその公開を迫られ、収められているという箱を開けてみたら琥珀のような石が入っていた。これはまさしく蛇祖の目玉に相違ないと一同驚き、酒の席で行うことではなかったと丁重に祀り再度収めた、などという話がある(ただし、緒方氏の祖の話は蛇聟譚)。
蛇女房譚はどこも子が子のうちに幕となるが、この緒方氏の話(あかがり太夫から出たと伝えるのが緒方氏である)などから、本来は子どもの方が主役となる話だったのではないかと私は考えている。すなわち祖神を蛇と仰ぐ一族が、その末流に祖に近い強力な英雄が出たことを祝して母蛇と子の伝説をつむぎ、このうちその強力な子の話が別に分かれ(○○太郎など)、母蛇の部分のみが残って「蛇女房譚」になったのだろうと。
こうした次第で「蛇の子のその後」の話をずっと探していたのだけれど、まさに「蛇の子が英雄となる話」が石巻にあったわけだ。

蛇の子・貞任 2011.03.17

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