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その他・境内社などについて

以上でこの社にまつわる重要な部分は紹介する事ができたと思う。後は境内社などに関して述べておこう。まず、もう一柱の相殿の神である少彦名命に関して。

結論から言うと少彦名命が古くからこの社に祀られてきたとは思えない。明治二年に提出された書上には祭神に少彦名命が一神増えた旨が書かれているという。また、当時の神主の言として「萩原正平(『増訂 豆州志稿』の増訂編集者)が県の神社役人で、神社を調査しに来た時、薬師仏を祀っていたのは、医薬の神の少彦名命を祀っていたのであるから、杉桙別命・五十猛命の外に少彦名命を祀るようにと指示された」という話が紹介されている[資料2]。『増訂 豆州志稿』[資料7]の増訂者なら薬師が伊豆三嶋大明神の本地として祀られてきた事は百も承知だったはずであるから少々解せない所もあるが、いずれにしてもそのあたりに祀られたのではあるだろう。

境内社の石祠
境内社の石祠

境内社としては地域の総鎮守として多くの社を持っていたようだが、現在では石祠の列として祀られているようだ。『河津町の神社』に記録されている社を列挙しておくと、
・道祖神社 佐倍乃加微(さばのかみ)
・宇賀神社 第六天神
・稲荷神社 宇気母智命
・天神社 菅原道真
・水神社 美久麻理之神(みくまりのかみ)
・熊野神社 祭神不詳
・小烏神社 祭神不詳
・歳之神社 大年神、御年神
・火産帰(ほうぶつき)神社 軻遇突智命
・大楠神社 祭神不詳
・塞神社 久那斗命外二神
・山神社 大山祇命
・大那行都佐(おおなごつさ)神社 祭神不詳
となる。

道祖神社として佐倍乃加微(さばのかみ)を祀っている所が面白いだろうか。大那行都佐(おおなごつさ)神社という社が何の神であるかが分からない。なお、細かな異同を指摘しておけば、『式内社調査報告』にある「小島神社」は「小烏神社(こがらす神社・熊野神社関係社と思われる)」の誤り、「産靈神社」は「第六天神」のことだろう[資料1]。また、先にあげた別格で一宇に祀られている「山神社・秋葉山神社・(大楠神社)」に関して秋葉山神社は資料に見ないが、おそらく「火産帰(ほうぶつき)神社」のことと思われる。

境内社と大楠
境内社と大楠

合祀されていた神格に関しても一点。蔭山・若宮八幡・姫宮が合祀されており、現在は姫宮神社が復祀されたことは述べたが、蔭山・若宮八幡が現状どのような扱いとなっているのか分からない。もとは、蔭山・姫宮が若宮八幡に合祀され、その若宮八幡が来宮・杉桙別命神社に合祀される、という順だった。これらの神格に関しては姫宮神社の項で述べる予定だが、「蔭山神社」のみ今少し述べておこう。

蔭山神社は小田原北条氏に仕える小田原衆であった蔭山氏に由来するが、一族は河津笹原に住んでいた(小田原と河津はこれ以外にも行き来が多い)。蔭山神社はその蔭山氏の祖・蔭山勘解由(かげゆ・足利広氏のこと、足利持氏の子)と木宮大明神を祀る。ここで問題なのが、蔭山氏が紀氏の末であり、五十猛命を祖神とする系譜の氏姓だという点である。『河津町の神社』ではこの件と来宮・杉桙別命神社の相殿に五十猛命が祀られていることとは関係がないと断言しているが、その断言の根拠が分からない[資料2]。前段で渡来の神として五十猛命が箱根伊豆山の神話と習合したのではないかと述べたが、この蔭山氏の一件も覚えておきたい。

ところでこれは余談だが、河津町見高の見高神社について一点指摘しておきたい。見高神社は式内:多祁伊志豆伎命神社の論社ともされるが、いずれ名のみ見る神であり、どのような係累であるかも分からないのだが、その社殿は正確に来宮・杉桙別命神社の方を向いている。これまでにもまま見たが、この辺りの三嶋信仰関係社は「出自の社の方を向く」という性質を持っている。あるいは見高神社の神は来宮・杉桙別命神社の神の眷属としてとても密接な関係にある神格であるのかもしれない。ちなみに、杉桙別命神社は正確に三宅島を捉えている。


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龍学 -dragonology- 2011

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