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また、来宮が八幡を配祀とあることを反映し、大正期には「火牟須比神社・相殿:八幡神社」ともなっていた[資料4]。ここも同伊東市八幡野の八幡宮来宮神社や賀茂郡東伊豆町白田の志理太乎宜神社(来宮神社)のように「八幡宮来宮」だったというのは注目される。最も名の知れた八幡野の八幡宮来宮神社の由緒では来宮と八幡が同社地になったのは「たまたま」なのだが、あるいはそうでもないのかもしれない。

火牟須比神社となって以降は来宮の面影はほぼなくなっており、現在御祭神にも来宮からの神名は見えない。周辺キノミヤに見える忌事の神事などもなく、ズバ抜けた御神木というものも見ない。キノミヤであったことを意識して語り継がねばならない神社だろう。なお、来宮の神格に関して、『伊東誌』では、伊豆各地の来宮の祭神に関して、キノミヤとは「貴の宮」が本意であって、大己貴命の「貴」に由来する、と主張しており(杵築大社の「杵の宮」のことでもあろうと)、鎌田来宮明神も大己貴命を祀るとしていることを付しておこう[資料3]。しかし、その仮説以上の根拠はない。

御神紋は「○に橘」
御神紋は「○に橘」

さて、次に伊東氏の八重姫にまつわる側面を紹介していこう。なんとなれば愛宕や来宮の話とはまったく関係なく、ここ火牟須比神社の御神紋は「○に橘」なのだ。社頭の橘の木と八重姫の伝説が、この神社にとっては大変重要な点なのである。周辺各所でこの伝説が顔を出すのだが、ここが「本地」であるので少々詳しく述べる。

八重姫とは平安時代末のこの地の豪族伊東祐親の娘(三女)。当時この地では平治の乱に敗れて伊豆流罪となった源頼朝が伊東氏にあずけられていた。頼朝は祐親が上京している間に八重姫と通じ、二人の間には千鶴丸という男子が生まれる。千鶴丸三才の時、祐親が京より戻り、事の次第を知って激怒。千鶴丸を松川上流の轟ヶ淵(火牟須比神社から上流に川なりに1.5kmほど、荻に近い)に沈め、殺害してしまう(この伝説を受けて「稚児ヶ淵」となる)。続けて祐親は頼朝も討とうと迫ったが、頼朝は北条時政を頼って匿われたとも、伊豆山権現に逃れたとも言う。八重姫はその後気が触れてしまったとも自害したとも言う。いずれ物語である曽我物語に記されていることなので、そのまま史実かと言うと難しいが、頼朝挙兵に合力した西相模・東伊豆の武士団(おそらく皆同族)のなかで伊東氏のみが反頼朝となったことは事実である。

おとどいの橘
おとどいの橘

この千鶴丸の沈められる場面とここ火牟須比神社の地は深く関係するのだが、以下神社にある「おとどいの橘」の説明案内の記述を引いておこう。

頼朝の愛児千鶴丸と、おとどいのタチバナ
源頼朝と、伊東の領主祐親の娘八重姫との間に生まれた千鶴丸は、平家を恐れて、この上流の稚児ヶ淵へ沈められたといわれます(曽我物語)。その途中、千鶴丸をあやすために、このお宮のタチバナの枝を千鶴丸の手ににぎらせました。千鶴丸の遺骸は、富戸へ流れついて、富戸の三島神社の若宮になったといわれ、三島神社の社前のタチバナは、千鶴丸が握りしめていたタチバナの枝が根づいたものだと伝承されています。そこで、この二つのお宮のタチバナは「おとどい(兄弟)」のタチバナといわれています。
─社頭掲示より引用

この様に、話は頼朝の若き日の過ちといったものから一気に神話の様相を呈するのだ。富戸の三島神社若宮が式内:許志伎命神社の論社であり、富戸がそもそもエビス信仰の強力な土地であることとも大きく関係するだろう。

これは明らかに貴種流離譚の骨格を持った話の展開であり、実際「千鶴丸は死んでおらず……」という話ともなる(この稿とあまり関係しないので割愛するが、甲斐から日向国へ、島津氏の祖、島津忠久こそ千鶴丸その人なのだという話にもなる)。この伝承の意味する所は、ここが海より寄り来る神の社・来宮であることと必ずや関係してくる。

来宮であり、愛宕である火牟須比神社のご神紋が橘であることには、このような伝説が関係していたのだ。そして、私はこの部分がおそらくこの神社の核心だろうと踏んでいる。ここ、火牟須比神社の社殿は母・八重姫を祀る神社と言われる音無神社の方を正確に向いているのだ。しかし、その話はここ火牟須比神社の解説というよりも伊東(松川流域)全体の信仰空間に関する話となる。轟ヶ淵・稚児ヶ淵は別名「蜘蛛ヶ淵」と呼ばれてもいた。そこに棲んでいた白蛇を祀る厳島神社が火牟須比神社近くにはある。それらは上記の伝承をまた別の角度から見るための舞台装置だ。

ここ「伊東の来宮」がなんだったのかは、このような松川流域全体のピースが揃った時に明らかになるのではないかと考えている。

境内社:稲荷社
境内社:稲荷社

後は簡単に境内社に関しても述べておこう。あまり詳しい資料がないので列記するだけだが。まず、本社殿向って右手に朱の小祠があり、稲荷社である。別格という風だ。伊東氏の氏神が稲荷であることと関係するだろうか。


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龍学 -dragonology- 2011

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