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竹町の道祖神
竹町の道祖神

この写真の道祖神さんはその門入道がかつて供えられたという話の伝わるものなのだが、さらに面白い話がある。「現代」の話なのだが、夜中に居眠り運転の車が、ここに突っ込んでしまったのだそうな。そして、道祖神さんに激突して止まり、家屋には被害はなかったと言う。翌朝、近所のお婆さんが事故車の脇で塞の神の神威を力説したそうな(笑)。写真を見るとせせこましい所に押し込まれているように見えるが、その事故のせいで道祖神さんが物々しくガードされる結構で手厚く祀られるようになったからなのだと言う。

『せえの神さん』ではこの話を引いて、交通安全のお参りは成田山など遠方に求めるのではなく、こうした道祖神さんにこそ行うべきだ、と力説しているが、私もまったくそう思う。

池の道祖神
池の道祖神

伊東でも内地の方はすっかり「道の神」として道祖神さんは祀られることになる。池はもう随分と山懐に入った土地だが、道祖神さん脇の解説でも「伊東道と田方道が交わる場所で、江戸時代の高札場でもあった」と主要道の交点であったことが強調されている。

池から十足(とうたり)、荻へ向う道中には、脚に怪我を負った武将がここまで落ち延びてきたものの、もはやこれまでと割腹し、それが「脚の神」として祀られ云々とか、廻国の坊様が病に倒れたのを懇ろに葬った所村の塞の神として厄を防いで云々など、ストレンジャーの死が祀られる話も多い。全国的には道祖神はそのような「道の神・足の神」となって草鞋が奉納されたりする存在でもあるが、伊豆でも山間に入るほどそういった色は強くなると言えるだろう。

新井神社の道祖神
新井神社の道祖神

つまり、伊豆の道祖神も形は伊豆型でも「陸型」と「海型」の祀る次第の別があるということなのだ。これは実際そう指摘されている。『せえの神さん』でも新井の項に、「伊東の塞の神行事も、はなはだしい地域差は見られないが、大まかにいって、漁村型と農村型とがある」と書かれている。

写真新井神社は伊東港を見下ろすまったくの所「漁村の社」であり(もとはエビス神社だった)、今は新井の道祖神はすべてここに集められているという。以前も述べたが、漁村型の道祖神祭祀の特徴は「船主」がその発願者になる、という点が最大のものである。私はこの点に「海の道祖神」の核心があると考えているが、それは次回以降の考察の稿で展開しよう。


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龍学 -dragonology- 2011

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