足柄峠行

庫部:惰竜抄:twitterまとめ:2011.02.26

6:50 am JR御殿場線駿河小山駅付近。ふーじーさん!ふーじーさんっ!たかいぞたかいぞ!ふーじーさんっ!
あ、さて。数日前から晴天の見込まれた本日。もう行きたい所が十指に余るあたくしはこの「晴天カード」を何に切るかと思い悩んだわけですが「山だろ」ということで足柄峠が本日のテーマでございます。ちと前に言っていた虎御前石があるのですな。
と言っても「足柄峠越え」はそんなに時間がかかるものじゃあありませんので、午前中はちょっと寄り道がてら登り口静岡側の足柄のお隣の駿河小山へ。金太郎さんの出生伝説のある所でございます。

その金太郎こと坂田公時を祀る「金時神社」は、しかし、古いわけではありませんで、ここにあった「坂田屋敷・金時屋敷」を昭和に入って神社・公園としたものであります。
でも御本殿は結構シックに。拝殿裏から階段を登る形式ですな。この駿河小山から足柄峠、相模足柄(南足柄市)にかけて金太郎伝説が色濃いのでして、これまたあれこれ複雑に分岐してるのですが、今日は解説はもう無理(笑)。その辺は明日。
もう今日は、本来の目標の「虎御前石」を大幅に「金太郎」が喰っちゃうという展開でしたな。みんな持ってかれた(笑)。金太郎の一族は蛇神を祖とする人々だったんじゃないか……そこまで行きます(明日、明日)。
まー、主が主なだけに並の狛犬さんじゃ勤まらんわね(笑)。くわっ!ってなもんですよ。
本殿裏にアヤシの洞が。水溜まってるし、結構奥がありそうな。蛇臭い、とこの時思ったものの、まだその後の超展開は知る由もないあたくしでありました。
母八重桐が良く祀り、子の金太郎も真似してあれこれお供えしたという境内(かつての屋敷内)の「第六天社」。平安時代に第六天社ってどうなのよ、という話ですが、その後の坂東武者のことを思うと象徴的なのかも。

とりあえず金時神社にもご挨拶終了ということで、駅までぶらぶら戻っときまして、次の電車まで間があったので駅前にあった神社さんへ。「小山神社」。うを、小山の鎮守様でありましたか。
春日・諏訪・山神社を合祀したそうな。それで本殿覆殿の千木が内削ぎというちょっと不思議神社。鰹木は三本。うっうー。しかし春日(鹿島)と諏訪が合祀すると仇敵が御祭神に並ぶ。どんなんでしょうな、内部事情は(笑)。
しかしこの岩山上の狛というのは松田の寒田神社や山北の河村八幡とコンセプトが似てるなぁ。なんぞ関係あるのだろうか。
御殿場線の次の駅「足柄」へ。道端に並ぶ石造物群。オールインワンパッケージですな。馬頭観音さんが多いのは丹沢の傾向の流れだろうか。小山は道祖神さんは双体が多いものの、ちらほら「道祖神」と彫った石碑も。
あたしは西相模の道祖神は小田原⇆足柄峠(山北)⇆甲斐という流れがあるのじゃないかと思っているので、この小山辺り(駿東郡)の傾向は重要。いずれがっちりした調査がないか探さねば。

そして駅から南にやや離れた「足柄神社」へ。同名の神社が南足柄市にありますが、無関係。この地にあった金時山(猪鼻山)を祀る猪鼻社(大山祇命)と白髭神社(猿田彦の命)が合祀した模様。
南足柄の足柄神社は足柄明神→日本武尊という祭神の変遷に見るように、足柄峠の古事記での神話そのままであります。小山の足柄神社はあまり足柄峠とは関係なかったんだ(登ります、と報告のつもりだった……笑)。
で、この御紋となぁ。なんかちょっとずつ不思議な小山の神社。境内社に天神社の名があるものの……フーム。
しかし、それどころではなかった。「脇宮:来宮神社:杉桙別命」。!!!な、なんだってー。なんでこんな所に伊豆賀茂郡河津町のミスター来宮が。
よくよく地図を見ると、なんと地名が「伊豆ノ山」ときたもんだ。なんとなぁ。この間箱根権現周辺に三島の字や来宮があってたまげたが、さらに北まで。うーむ、修験か?伊豆山の人が運んだのだろうか。
【閲覧注意(花粉系)】いやでも、足柄峠周辺なんざ純度100%の杉山でありますので、症状のあまりないあたしでもこれ見た瞬間くしゃみが出た(笑)。

駅の方へ戻ってきまして、「嶽之下神社」へ。後で「奥宮」が出てきますので下宮ということになる。資料未入手で御祭神も分からないのだけれど、富士山を意識しているのは間違いない。
こんな感じ。真正面ではないけど、富士山を強く意識した造営。でも、山を祀る場合も社殿の後ろに捉えて遥拝する形ばかりでもないのね。
境内に御神木の一部が。社殿も新しいが平成に火災にあってしまったのだそうな。で、この解説になぜか縷々と二宮尊徳公のことがあった。あー、そうか小山は尊徳公が立て直した土地だった。ていうか最近尊徳公がよく絡むな。
足柄駅近くの道祖神さん。この辺りの道祖神さんは大変良い立地を与えられている。とても大事にされている感じが強い。山北町の感じに近いかも。ま、繋がっている土地ですからな。

一旦駅へ戻りまして、そこからいよいよ足柄古道へと入りまする。ぐーぐるマップ等だと道がないですが、ポイントの並んでいる川沿いに足柄古道が通っているのですな。案内は金太郎さん。
さて、ここでざっと足柄峠周辺の金太郎伝説について。金太郎伝説は全国に分布しているが、一番有名なのがこの足柄峠だろうか。「♪あ〜しがらや〜あまの、き〜んたろう〜」と歌にある通り。
金太郎は足柄峠の麓で生まれ育った、熊と相撲を取ったり山の動物達を家来とする大鉞を担ぐ怪童として知られる。長じて源頼光に見出され、坂田公時を名乗り、頼光四天王の一人として活躍する。この辺りは皆同じ。
しかし「出生」に関すると話がばらばらになっていくのだ。相模足柄では山姥の子であり、山姥に育てられたという。駿河小山の坂田屋敷(昨夜の金時神社)ではその地の彫物師十兵衛の娘八重桐が京の坂田家に嫁入りし、懐妊して出産のために小山に戻って生んだという。
あるいは小山で別に、この八重桐は遊女(巫女)であったともいう。相模足柄でも交錯して、山姥とは八重桐という遊女のことだったと言いもする。山姥〈〉遊女(巫女)〈〉八重桐(遊女)〈〉八重桐(里の娘)というグラデーションが母の像として分布しているということだ。
この日は足柄峠にひそむ「虎御前石」を巡るのが主目的だったが、その内に話は「足柄峠の巫女達」に視点が移り、そしてこの「金太郎の母」が強力にクローズアップされてくることになる。

話は足柄古道に戻りまして道行き編。民家の途切れる辺りに小さなお宮が。山神社さんかなぁ。人の通う山の登り口には山の大小に関係なくこういったお宮があるものです。私有の山の入口にもある。

しばらく進むと「嶽之下神社奥宮」が。予想もしなかった立派な庭園状の境内。社殿はなく、鳥居の奥にある大岩そのものが「奥宮」であるようだ。
滝と大岩。修験の人が山に入る前に水垢離する所なのかしら。

またしばらく行くと「頼光対面の滝」が。これすなわち金太郎を見出した頼光がここではじめて対面した所という滝。
この話、「足柄峠から源頼光は赤い雲のたなびく峰を見つけ家来の渡辺綱にあの雲の下には偉人がいるにちがいないとして……云々」というのだが、「赤い雲」は後に行って意味を持つかもしれない。
さらに川を遡り行くと、「銚子ヶ渕」という渕がある。で、ここの脇にあった「まつわる話」が興味深い。時々水辺にはこういった難解(?)な伝説があるのだ(以下に引用)。
銚子ヶ渕
ある日花嫁が厳粛な祝言の最中に「おなら」をして大笑いになった。年若い初な嫁はこれを深く恥じて席にいたたまれず抜け出し銚子を抱いてこの渕に身を投げてしまった。
その後、女の履いた草履が時々水の面に浮ぶので村人たちは恐れ地蔵像を安置してねんごろに弔ったので再び浮んでこなかったと云う。
この悲しい物語を忘れるため里人はこの池を縁結び「銚子ヶ渕」と名付け伝えたので良縁を望む多くの男女が池に願をかけ成就したと伝えられている。
ぶっちゃけ背が立つ渕なんだが(笑)、何がどう繋がってこの話にまとまったのかまったく分からん。渕にまつわる別の伝説が伝わりそこねて形を変えたように思える。こういうのが面白いのだけれどね。
さらに登ると脇に「古滝」という滝があって合流している。古くはこの滝で禊ぎをしてから修験者達は入山したそうな。水量が減って下に移ったのかしらね。
道行きは県道に出るちょっと手前で虎御前石行きの分岐が出ていまして、そちらへ。あまり行く人もいないようでご覧の感じですので、行く方はそれなりの心構えを。

そして登ることしばしで「虎御前石」へ。イヤー、結構普通の大石ですね(笑)。ま、事前調査で知ってはいたけどね。うーむ、この辺り、「磐座」ということならもっと目立つものはいくらでもある。コードが違うのか。あたしのセンサーが弱いのか。
確かに「お膳立て」で結構印象が変わる、ということは既に思ってはいた。んが、この虎御前石はどうかなぁ。
ぶっちゃけあたしはこれは「ベッド」に見える。「都合が良かった」のではないか。「巫女の地の磐座」はもう少し柔軟に見直した方が良いかもしれない。
虎御前について。曽我兄弟の仇討ち譚は『曽我物語』として有名だが、その兄弟の兄十郎と「良い仲」であった大磯の遊女が虎女。物語は脚色されているものの、兄弟や虎女のことは『吾妻鏡』にもあるので実在は確かだろうとされる。
虎女そのものは大磯の色町の遊女であり、あまり巫女という印象はない。もっともこの時代は遊女=巫女の側面が思ったより強かったということになると分からないが。
曽我十郎が仇討ちに富士へ向った時に、内縁の妻くらいだった虎女が彼の身を案じて足柄峠の大石に坐って待ち続けたと伝承されるのが昨夜の「虎御前石」である(仇討ちが成功しても失敗しても帰らぬ人となる、と見込まれる)。
結局十郎は帰らぬ人となるわけで、虎女の涙はその季節に降る雨の名としても残っている。足柄峠の周辺では旧暦五月末に降る雨を「虎が雨」というのだ。
で、この「虎御前石」が本地の足柄峠以外にも全国にあることから柳田翁は「妹の力」の中などで、これは「トラ」の音を持つ遊行の巫女集団がおり、彼女達が要所とした磐座が「虎御前石(虎ヶ石)」となって伝わったのではないかと考えた。
確かに足柄峠は「足柄峠の巫女」達の地であると古くから知られ、彼女らの伝えた神楽歌「足柄十首」を後白河天皇など喉をつぶしてまで習得しようとしたと『梁塵秘抄』にあるそうな。
だが「虎女」その人は足柄峠の巫女ではなく大磯の遊女である。柳田翁も「虎」が固有名であるのは何故だ、と疑問を呈して締めくくっている。この「虎」の名が武蔵狛江などにまた見えることなどが問題となって、はたして遊女(巫女)と「虎」との関係やいかに、と言う事での足柄峠越えだったのですが……
まー、どうも「虎御前石」は今はあまり注目を引くものでもないようで、このルートもあまりふるってはないようですな。でも「足柄峠の巫女」は多分全国的にも貴重なケースだ。忘れられて良いものではない。
ひとしきりあれこれ考えた後、足柄峠へ向けてまた出発。こういう山中を一人でてくてく歩くのはあたしの至福の時ですな。あたし『蟲師』というマンガが大好きなんですが、ご存知の方は「なるほどね(笑)」とお思いでしょう。
一旦県道に出まして、登りはじめた小山町の方をふり返りますとまた「ふーじーさんっ!」。む、霞がかかっちゃってましてちょっと残念……う、これまさか花粉じゃないだろうね(TΔT)。
足柄峠の六地蔵。道中安全祈願するには山頂付近でなく麓にあるべきでは、と思うのですが、「道中安全祈願」とはなんぞやと考えるとこれが本来なのかもしらん。
おそらくお地蔵さんは「身代りとなる」ことによって道中の安全を実現するのだ。旅人の身に何かあった時に身代りとなるべくここに待機されているのである。あたしは道祖神などを追いかける過程でこの「身代り(持衰)」の思想が日本の信仰の中核にあることを意識しつつある。
祖霊信仰であること、御霊信仰であることは最近とみに注目されるが、神仏が「身代り」であるという側面はあまり強調されないように思う。おそらく同等に重要な側面だと思うのだが。

といったところでようやく足柄峠のてっぺんへ。ここに「聖天堂」がある。秘仏の「大聖歓喜双身天」を祀り、お年寄りの下の悩みに云々と表看板はなっているが、実はこの聖天堂こそ足柄金太郎伝説の秘鍵なのである。
しかしもとは性神だったのだろうが、この大根紋は……。聖天といや大根だが、ここまで絡んで(笑)いるのは見た記憶がないな。
さてここにも金太郎さん。表向いて聖天堂は金太郎伝説と関係ない。んが、相模足柄の南足柄市地蔵堂にとんでもない話が伝わっている。そこでは、聖天堂は大蛇を祀っていると伝えているのだ。
地蔵堂の長者が妾を持った。しかし、ある時この妾の「母の骨」が暴かれてしまう。なんとその骨は人骨ではなく大蛇の骨であった。事が知れ、妾にもその話が及ぶと、妾は大蛇の正体を現し、正体がばれたからには一帯を泥の海に化して昇天してやると暴れ出す。
ここで時の聖天堂の和尚が、お前を聖天堂に懇ろに祀る故に暴れるのはよせとなだめ、妾の大蛇は聖天堂におとなしく祀られることとなった、というのだ。そして、この顛末の長者家こそ相模足柄側の金太郎の生家と伝える家に他ならない。
さーて、これは一体どういうことだろう。いずれにしても金太郎伝説の底が深そうなことは間違いない。桃太郎や浦島太郎の謎解きは良く行われるが、金太郎さんも勝るとも劣らないもののようだ。
やや脳内飽和状態になりつつ(笑)、足柄峠のあれこれを見て回っております。関がありますな。古代の盗賊に対抗して、とありますが、江戸期になっても箱根の関の「裏関」にあたったのが足柄峠であります。
足柄峠の道祖神さん。あれこれ鑑みて「道祖神の中の道祖神」と言えよう。
あまり知られていないが山の神さんの祠もある。ここの由緒書きが面白い。
「満足して帰って行ったことがあった」……誇っているのかあきれているのかといった文面だ(笑)。

そして本日隠れ第一目標であった「足柄明神」へ。紅白の鳥居だ。色が剥げたのでなく由緒にも「紅白の鳥居を建立」とある。この発想はなかった。
古事記においてヤマトタケルに挑んで敗れた足柄御坂の神「白鹿」その人(?)である。由緒ではこの白鹿を「坂東人の誇りを守った古代の英雄なのです」としている。
現在南足柄市の足柄神社は日本武尊を祀るが、これは明治のこと。もとはずっと足柄明神を祀っていた。「祭神を入れ替え」られてしまった足柄矢倉沢の人々はたまらずに足柄神社元地のひとつであるここに「足柄明神社」を再建したのだという。これは日本武尊伝説の注意しなければならない大きな側面だ。
日本武尊伝説は明治からの国家神道の枠組みで大きく敷衍されている節がある。江戸期の修験系御師により拡散している節もある。意外と「新しい」可能性は所々に見られる。関東ではこの点特に注意が必要だろう。
足柄峠続き。足柄峠と言えばの万葉歌の碑。「足柄の御坂に 立して袖ふらば 家なる妹は 清(さや)に見もかも」。「御坂」は国境の峠を示す。あたしはこの歌も「妹の力」に関わる意味を持つと思う。
そして、ここから次なる足柄明神(矢倉明神)の鎮座地であります矢倉岳山頂を目指します。めざし……めざ……
って、なんじゃこりゃー!そんな馬鹿な。足柄峠→矢倉岳は片道40分程度のハイキングコースのはずなのに……
ほーんじつの神社巡りアスレチック開催ー!わー、どんどんぱふぱふ!
って、そんなわけあるかぁ!ヽ(`д´)ノ
これはおかしいぞ。
えぇ、おかしかったです(笑)。どうもこのコース途中山肌地滑りかなんかで封鎖中の模様?昨年10月の登山行を見ていたので大丈夫だと思っていたのですが、それ以降何かあったのか?
一応かつての道順にビニルテープが等間隔に貼られているのでロストすることはないでしょうが、ぶっちゃけ死にます(笑)。いや、笑い事じゃない。ソロでやるこっちゃない。これ行っちゃダメです。
ま、行ったんだけどね?んが、途中地滑り部分を突破する過程でもうあたしは体力尽き果てました。写真ないですが、そんな余裕はまるでないほど必死だったと思いねぇ。
這々の体で尾根に出て、駿河小山から矢倉岳に向う山道にたどり着いたものの(40分予定が1時間半地滑り地帯這いずり回りに終った)、もはやそこから矢倉岳へ登るのは危険という判断で。
そんなわけで矢倉岳は反対の矢倉沢からの道が整備されているのでまたの機会にそちらから、ということで。この日は予定変更で朝寄った駿河小山へと下ることにしました。

で、実はそのコースをとりますと、今回予定になかった駿河小山「遊女の滝(遊女ヶ滝)」へと出ることになります。いやー、今回は「呼ばれた」かなぁ。
こには金時神社の坂田屋敷とはまた異なる金太郎さんの出生伝説がある。母、八重桐が猪鼻山(現・金時山)の山頂で寝ていると、夢中に赤龍が現れ、八重桐はこの龍と結ばれる。そして宿ったのが金太郎であるというのだ。
八重桐は龍の子が強く生まれてくることを願い、この滝に繰り返し打たれたという。その姿を見た里人がここを「遊女の滝」と呼ぶようになったと。この話では金太郎はダイレクトに「龍の子」であるのだ。
そんな遊女の滝を後にしまして日も暮れて。足柄峠行は当所の目論見から大きく離れて足柄峠の巫女、金太郎の母に強力に引っぱられる結末となりました。
あたしはかつて「太郎の系譜」とは、擬きの神婚儀礼により祖神祖霊(今回の場合竜蛇)の血を濃く持って生まれた子を語る話であり、「蛇女房譚」も「その子ども」がやがて主役となる話だったはずだと論じた。
そして、その系譜の典型は信州小太郎伝説を追うことが主筋となると踏んでいたのだけれど、足下の地、足柄峠の金太郎伝説こそが刮目して追うべき伝説なのかもしれない。
信州小太郎伝説からは遊女(巫女)や山姥のコードへの接続は望めまい。少なくともこの足柄峠は信州小太郎伝説と双璧となるほどの「龍学」の地であると思った。そんな足柄峠行でありました。

補遺:

そもそも金太郎伝説に関しては信州小太郎伝説を追った後で振り返って辿ろうと思っていたのだけれど、事ここに至れば是非もなし、ということで押っ取り刀であれこれ調べているのだけれど、どうも妙な塩梅だ(笑)。

まず、「赤竜の子」「頼光赤雲を見て…云々」などは江戸期の『前太平記』によるようだ。もっともこれには母・八重桐の名はないので創作か伝承を拾ったのかは分からない。なお、足柄峠が金太郎伝説の本地となっているのもこの『前太平記』による模様。

ちなみに『前太平記』って読んだことありませんでして、今ちびちびと見ているのだけれどこれ面白すぐる(笑)。あれこれの元ネタになったんだろうね、これ。

で、どうも信州との関連が気になっていたのだけれど、長野県は金太郎伝説がものすごい土地だった(笑)。これがもう、足柄に劣らず濃く分布しているようだ。足柄よりも「山姥譚」の色が強い。

そして北安曇郡八坂村に『上篭山記』という掛け軸があるのだが、そこには金太郎親子の住んでいた上篭山の洞窟の奥は相州足柄山に通じていると書いてあるのだそうな。この辺りの伝承に絡んでは「虫倉神社」という神社が七社で「神社群」を形成しているようで、燃える展開でもある(笑)。

しかし『上篭山記』がいつの物だか分からないのだが、どのくらい昔から双方の連絡があったのだろうか。しかしこの場所もう犀川の脇ですよ。信州小太郎伝説と金太郎は根が同じか、あるいは絡んでるのか?
そうならそうで『桃太郎の誕生』を地で行く有様で柳田翁恐るべしと、めでたしめでたしなのだけれど、ここに一本のやっかいなコードが絡んできた。

滋賀県伊吹山麓にも金太郎伝説が多くありまして、「足柄神社」「芦柄神社」なども数々あるという。特に「坂田」の地名があり、「坂田公時」はここが本地かもしれない。
ここまではWikipediaなんかにもあるのだけれど、より調べてみたら長浜市の足柄神社群の開基が北条盛房だときたもんだ。時政の四代末である。ま・た・北・条・かっ(TΔT)。

諏訪を中心に信濃といえばこの鎌倉北条氏との縁が深い。全国の諏訪神社の分布が北条氏の治めた土地と被るというやっかいな問題が既に出ている。金太郎伝説の伝播の裏に鎌倉北条が絡むのか?そうなるとなると……どうなるのだ?

足柄峠行 2011.02.26

惰竜抄: