ごあいさつ

庫部:惰竜抄:2011.02.03

旧正月の新年明けましてのご挨拶

「龍学」はいまだ何かをまとめる、という所まではいっていませんで、実地を回って、実際自分の目で見てみる、というオリエンテーリング状態。今しばらくは twitter などでの状況報告が続くと思われます(ちなみにページトップのイメージ中、「龍」と「学」の間のマークが twitter でのアイコンにもなっとりますが、これは甲骨文字での「龍」の一形です)。

そんな次第なので、本サイトの方ではその報告が「一体何の話をしているのか」というテーマの基礎情報を閲覧できるような記事を掲載して行く予定。例えば twitter で「今日は伊豆行」というレポがあったら「何で伊豆回っているのか」をこちらで参照できるような。

あわせてサイト構成もまた微妙にいじっておりますので、旧準備サイトはしばらくそのまま残しますが、全体的にはイチからこちらで再構成してゆく事になります。

「龍学」とは

文字通り龍・ドラゴンを追いかけるもの。現状日本ベッタリですが、射程は世界。もとより、人が新石器革命を経て行く過程に世界的に「竜蛇」が顔を出している、という点に注目したのが「龍学」。この各地の竜蛇の性質を比べて見て行ったら、それぞれの違いと共通性の両面を見る事のできるカードが手に入るのではないか、とそう思った次第。

ムシュフシュ
ムシュフシュ
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イシュタルの門に刻まれたムシュフシュ。
西方の竜は悪であり、人への障害であると言う。
しかしはたしてそうだろうか。

龍宮の竜女を母として生まれている日本の天皇家。遥か殷周時代に各部族のトーテムを集合した「王」のコードとして君臨をはじめた中国の龍。世界の一切の力の流れを示すインドのナーガ達。世界を滅ぼす力までを手にしたゾロアスター教のアジ・ダハーカ。あたかも王の方がそのキャリアであったかのように示されるメソポタミアのムシュフシュ。悪と王権と一神教の核心にトグロを巻くヘブライの蛇。冥府の底そのものであるとともにファラオを守護する象徴でもあったエジプトの蛇達。「ドラゴン」の発生地であり、竜蛇に仕える巫女の系譜を色濃く伝えるギリシア。そこへ流れ込んで行った小アジアの竜蛇達。黒森の奥に生まれ、北欧の地へと移り住んで行った大蛇達。新石器文明以前に共有されていた竜蛇の種子を伝えるかもしれないメソアメリカの竜達。

そして人の知の極北を解き放ってしまったヨーロッパのウロボロスの輪。

ウロボロス
ウロボロス
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人の「知」の極限を覗こうとしたグノーシス。
彼らが物質世界の限界を象徴させたのがウロボロスの蛇だ。
蛇が自身を飲み込んでいく暴走へ陥ったのか。
はたまた繋がれていた輪が解けてしまったのか。

私はこれらの竜蛇達を追う事で、人の歴史の全体的なイメージを掴もうとしている。はたして龍の背に乗って世界を俯瞰する事ができるのか、はたまたその尻尾すら掴めずに終るのか、それは(龍)神のみぞ知るという所(笑)。

現状

世界規模の壮大な望みとは裏腹に今私は「地元の神社を歩いて回る」という実に地を這う活動を続けている。これは各地に竜蛇伝承があるのはそれとして「その竜蛇は一体何の上に乗っているのか」そこを見ないといけないと考える故。

例えば神奈川県の江の島には龍と弁天の伝説がある。北条時政は江の島の岩屋で弁天さんから三枚の蛇の鱗を頂き、これを家紋とした(北条三ッ鱗紋)。と、それはひとつの龍伝説なのだけれど、そこには鎌倉という「第二の王権」が誕生する舞台であったという大きな流れがからみ、伊豆から相模への相模湾海上から伊豆諸島を望む有史以前からの海神への信仰があり、関東武士達の長い年月にわたるくすぶりがあり、そこへ介入していった修験者達と彼らが再編集しようとした「神話」の痕跡があり……と、当時の様々な人々の膨大な思惑のからむ中に、江の島弁天の伝承はあるのだ。

江の島岩屋の蛇像
江の島岩屋の蛇像
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江の島には蛇の像がたくさんある。元々弁天さんが蛇だったのだ。
王は竜蛇から生まれる。鎌倉前夜に必ず竜蛇は浮上する。

そして、それはどこでも同じはずだ、という点が重要となる。

ともすれば遠方の、住む事もなく行くこともないような土地の伝承は短絡して捉えてしまいがちだ。どこどこには龍と姫の伝承があって、蛇信仰がありました、おしまい。というように。しかし、出雲であれ、咸陽であれ、バビロニアであれ、アテーナイであれ、そこには「江の島のような」多くの人々の長い時間を積み重ねた思いの交錯があるはずである。そこを忘れてはいけない。

そんな具合で、現状「地元編」をしつこく行っているのは自分自身の「目玉」をまずは鍛えねばならない、ということなのです。

さらなる現状

そんな次第で。今は主に以下のテーマを追っております。それぞれに関する日々のレポートが twitter 上に報告されますが、また、それぞれの「ひとまとめ」がこちら「惰竜抄」に掲載されて行くことになります。

西相模の神社

私は西相模在住で、ここがもっとも狭くは「地元」ということになる。この範囲の神社を神社庁に登録されているものを基準に「すべて」参拝する予定(現在七〜八割方参拝)。これによって特定地域に太古から現代までどのような信仰が行き来していたのかを「見る目玉」を鍛える、とそういう次第。この記事はいずれ「相模神社ノオト」の方へまとめられていきます。

南足柄市の御嶽神社
南足柄市の御嶽神社
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表立って古い由緒の記録されていない土地にも古い信仰の痕跡がある。
ここ御嶽神社周辺からは平安期の蔵王信仰の痕跡が発掘されている。
自分の住む足下というのはあだやおろそかにはできない。

東伊豆の神社

人々の流れ的に、特に海に望み暮らす人々の繋がり的に相模とひとつづきの伊豆半島東側。ここに「伊豆三嶋信仰」という全国的にも極めてユニークな信仰の体系があり、これを追っている。いずれ本丸は伊豆諸島にそれぞれ祀られる神々となるものの、とりあえず伊豆半島東側も八割り方の神社に参拝しております。この記事は「伊豆神社ノオト」にまとめられていきます。

河津町の式内:杉桙別命神社
河津町の式内:杉桙別命神社
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伊豆にはこのような土地独自の神格が多い。
多いどころか東伊豆の古社は皆そういった神々で構成されている。

関東甲信越地方の神社

私は「地元で千社」「周辺地域で千社」「全国で千社」と概ね三千の神社に通じる事でこれを「龍学:日本編」の主幹としたいと考えている。西相模と隣接地域が「地元」で、「周辺地域」は関東甲信越地方、となる。去年までは地元エリアに限定していたのだけれど、今年からはこの関東甲信越エリアの神社巡りも開始。今の所これがどのような形にまとまるか等は未定。

印西市小林の鳥見神社
印西市小林の鳥見神社
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既に関東甲信越地方の神社巡りは開始されている。
鳥見神社は印旛沼の周辺に独特の「神社群」をなしている。
鳥見はトミ。物部氏の足取りを伝える神社だ。

twitter

さらに、日々 twitter を通して各地の所謂「民神系」の方々とやり取りをしておりまして、ここを通しての話題もまとめていきます。それぞれの話題はオープンエンドに「新情報募集」となるでしょうから、皆様ふるってお絡み下さい(笑)。

そんな感じで。龍学新年の再起動(笑)のご挨拶でありました。

ごあいさつ 2011.02.03

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