緒環(古典)

『平家物語』巻第八・緒環

緒方三郎維義(惟義)は恐ろしい者の子孫であった。昔、豊後の山里の娘のもとに、男が通うようになり、年月重なり女は身ごもった。母が不審に思って娘に質したが、何処へ帰るのかも分からないという。そこで、倭文(しず)の緒環の糸に針をつけ、男の狩衣の襟に刺した。

糸をたどると日向国との境の優婆岳の岩屋に通じていた。中からうめき声が聞えるので、娘が声をかけると、お腹の子は男子で、九州、壱岐・対馬に並ぶ者のない武士になるだろうと声はいった。そして、娘が姿を見せてくれと重ねて頼むと、大蛇が出てきた。娘は驚き、家来は逃げ去った。

帰った娘は男子を産んだ。子は育ち、十歳にもならないのに、背が高く顔が長く体が大きかった。七歳で元服させ、母方の祖父の太大夫に育てられたので大太(だいた)と名付けられた。大太には夏も冬も大きなあかぎれがあったので、あかがり大太と呼ばれた。

例の大蛇は日向国で祭られていた高知尾(たかちお)明神の神体である。この緒方三郎は、あかがり大太の五代の孫である。

『平家物語』巻第八・緒環より要約


緒方・佐伯氏のご先祖という大神惟基の生誕伝説。これは平家方だった緒方三郎が反旗を翻して鎌倉方につき、九州の平家の残存勢力を一掃する集団の中心となる、というところで語られる話。もっともさらにその後は三郎は義経側につくので、鎌倉からは疎んじられるのだが。

ともかく、蛇聟譚のひな形といえる話がこれなのだけれど、見て分るように、邪なる蛇聟ではなく、神なのであり、これは英雄の誕生を予告する話の型だったのだ。大神氏は大三輪から下向した一族とも宇佐の神官ともいわれるが、三輪山の蛇神伝説を引いていたのだというのはそうなのだろう。

三郎は晩年に佐伯の地に入り、これより佐伯氏に続くとされるのだが、下ってもこの蛇祖伝説をよく伝えた。

佐伯氏と鱗
大分県佐伯市:大蛇の子、あかがり大太・大神惟基の末であると伝える佐伯一族の当主は鱗を持ち、三鱗を紋とする。