佐伯氏と鱗

大分県佐伯市

「祖母岳大神宮の末の家は、代々鱗あり。前の佐伯惟定の嫡男惟重のとき、元和五年己未十一月二十日に脇の下より一つ出る。予(大友興廃記の著者杉谷宗重)年号日付し是を認む。前の惟定には三つ出たる由聞ゆ。」(大友興廃記剣の巻)

佐伯氏の当主に鱗ができるという伝説は、いつごろ発生したものかわからないが、平家物語「緒環」の章には、佐伯氏の始祖大神惟基は生まれつき皮膚が荒く、まるで「あかぎれ」ができているようであったので、「あかがれ大太」と渾名されたとあり、惟基五世の孫緒方惟栄には数枚の鱗があったと伝えられている。嫗岳明神(祖母岳明神)の神孫と称した大神氏、その子孫である緒方氏・佐伯氏は大三輪伝説と同性質の嫗岳伝説を伝え、それが龍蛇神信仰の形に発展した。佐伯氏の血脈に鱗発生の伝説があったり、また旗印・紋章に「三鱗」を用いたというのも、こうした始祖伝承によるものであろう。

『佐伯市史』より原文


この佐伯惟治の遺恨が蛇となって祟るのだといい、同地では「とびのおおさま・とびのおさま」といって祀る。夜刀神だともいわれる。この地の蛇にまつわる話の大元締めが佐伯氏になると言える。緒方三郎惟義(惟栄)が上野國に流されて、許されて佐伯の地に戻って佐伯氏になったというが、大神氏末流であるのは確かにしても、実際には緒方三郎の後裔かどうかは良くわからないらしい。が、伝承上は「蛇祖の一族」というのが連綿としていたわけだ。

緒環(古典)
『平家物語』巻第八・緒環:緒方三郎維義(惟義・惟栄)の祖である大神惟基の父は大蛇であった。

そしてこの伝説が遠く三陸の方まで持ち込まれており(緒方氏が来て建てたという神社が幾つもある)、あるいは八戸の方の八郎太郎の出生伝説も緒方氏の伝説をひな形としているのじゃないかとも思える。そういた広域展開があるのが緒方・佐伯氏の蛇祖伝説なのだ。

その多くは『平家物語』の敷衍によるものであるとしても、いずれわが鎌倉・小田原北条と双璧をなす「三鱗」の一族だ(正紋は三つ巴らしい)。その展開を追うことも重要になる。