竜馬の出てきた墓

朴栄濬『韓国の民話と伝説1』原文

むかし。
江原道平昌、大和村のある家から、葬式が出た。遺族の泣き声や、弔問客でごったがえしているところへ、ひとりの旅の老人が、ひょっこり訪れて言った。
「亡き人の墓を、すぐれた地相に構えれば、必ずや天下に名をなす、三人兄弟の壮士が生まれるであろう」
老人の言葉に主人は大いに喜んだ。
「では、そのよい地相をお教えください」
「いや、それには、条件がある。あなたがわたくしとある約束をしてくださるなら、教えましょう」
次の日、老人のさしずにしたがって、ひつぎは山の頂に運ばれた。あたりの山々を、一目に見渡せる見晴らしのよいところで、はるか眼下には、清い流れがあった。
「ここに、墓をつくればよいと思います。あなたにはやがて、虎のように勇猛な三人兄弟が生まれます。わたしの条件は、はじめの子を、生まれて三月目に、必ず拙者に渡してくださることです」
「はい。きっと約束を守りましょう」
老人は、ひょう然と山をおりていった。

まもなく、男の子が生まれた。非凡な子で、泣き声から並のものとは違っていた。猛獣の咆哮にも似たたけだけしさがあった。
三日目にはもう歩き出し、十日たつと、部屋のかべをこうもりのように這いまわり、天井に吸いついたりするのであった。
(すえ恐ろしい子どもだ。このままに生かしておけば、どんなことをしでかすかはかり知れない)
夫婦は気をもんでいたが、そのうちに老人との約束を忘れ、その子を、闇に葬ってしまった。

それからちょうど三月目、くだんの老人がやってきた。
「約束の子どもを、引きとりに参りました」
老人のことばに、おどろいた主人は、急場逃れにあわてて嘘をついた。
「ご老人。子どもはまだ生まれておりません」
「黙らっしゃい! なぜ嘘をつく。子どもは、まちがいなく生まれたではないか。もし、あくまでもしらをきるなら、わたしにも考えがある」
「い、いえ。申し訳ありませぬ。子どもは……。し、死にました」
「なに、死んだ?……」
「ご老人さま。どうぞお許しくださいませ。なにをおかくしいたしましょう。たしかに、子どもは生まれました。けれども、生まれたばかりの子どもが、三日にして歩き出し、十日にして壁を這いまわり、天井にへばりつくというありさまに、つい空おそろしくなり、殺してしまいました」
「たわけめ! なぜわしの言ったことを、思い出さなかったのか。生まれて三月目には、必ずわしが、引き取りに参るといったではないか」
「た、たしかに覚えておりましたが……」

「もうよい。お前ごときに、壮士を生ませるように取計らったわしがおろかであった。かくなるうえは、わしも、他に手をうたねばなるまい」
いい終わった老人は、幼な子を埋めた山の頂に登っていった。そして、しばらく口の中で呪文を唱えていたが、やがて、ふところから三本の鉄ぐしを取り出し、墓の上に鋭く刺し込んだ。そのとたん、天地をくうがえすような雷鳴とともに、車軸を流すような豪雨が降りはじめた。
それは三日三晩つづいた。と、みるみる美しく晴れ渡り、突如、墓がまっぷたつにわれた。そして中から一匹の小馬が踊り出たのである。
「ウヒーン! ウヒーン!」
小馬は異様ないななきを二度三度上げたが、がっくりと前ひざをつき、そのまま息絶えてしまった。

この小馬は竜馬であった。天帝のつかわした、壮士の乗る竜馬であった。乗り手に先だたれた竜馬は、壮士のあとを追ったのである。その後、人々はその墓を『壮士の墓』と名づけ、竜馬のおどり出た墓あとの池を『竜ヵ沼』と呼ぶようになったということである。

(江原道平昌郡大和面)

朴栄濬『韓国の民話と伝説1』(韓国文化図書出版社)より