竜馬の出てきた墓

韓国:江原道平昌

昔、江原道平昌の大和村で葬式が出た時、旅の老人がひょっこり現れ、良ければ故人の墓を良い地相に構えようという。さすれば、必ず天下に名を成す三人兄弟の壮士が生まれる、と。主人は喜び、是非にと願うと、老人は条件があるが、といいつつ、山上の良地を教えてくれた。老人のいう条件とは、これからはじめに生まれる子を三月目に自分に預けること、であった。

主人はこれを約束し、間もなく本当に男の子が生まれた。確かにそれは非凡な赤子で、泣き声から並ではなく、猛獣の咆哮のような猛々しさがあった。ところが、この子は三日目には歩きだし、十日たつと壁を這いまわり、天井に吸いついたりするようにまでなった。主人はこれに恐怖し、老人との約束も忘れて、この子を闇に葬ってしまった。そして三月目、件の老人が再び現れ、約束の子を引き取りに来た、と言った。

主人がその子を殺してしまったことを白状すると、老人は激怒し後悔したが、他に手を打たねばなるまい、といい、幼子を埋めた山の頂に登った。それから老人は呪文を唱え、三本の鉄ぐしを墓に鋭く突きこんだが、途端に雷鳴がとどろき、車軸を流すような豪雨となった。この大雨は三日三晩続いた後止み、今度はみるみると晴れ渡った。すると、突如として墓が真っ二つに割れ、中から小馬が躍り出たのであった。小馬は竜馬であり、異様ないななきを二三度あげたが、がっくり膝を折ると、そのまま力尽きてしまった。

これは天帝のつかわした、壮士の乗る竜馬であった。乗り手に先だたれた竜馬は、壮士のあとを追ったのである。その後、人々はその墓を「壮士の墓」と名づけ、竜馬のおどり出た墓あとの池を「竜ヵ沼」と呼ぶようになった。

朴栄濬『韓国の民話と伝説1』(韓国文化図書出版社)より要約


「英雄の駒」というのも東アジアに多く見る話だ。殊に、韓国朝鮮にはその関係がより密に語られるケースがままある。この話では壮士(英雄、英雄となる運命を持つ者)となるはずの子も、相方となるはずだった竜馬も死んでしまうのだが、それが運命的なワンセットである、ということをよく語っている。

竜蛇は英雄のダブルである、という側面を持つことがあるが、非常に近い。英雄の馬、竜馬は単なる「乗り物」ではない、ということだ。また、「竜馬沼」ではなく「竜ヵ沼」となっているあたり、竜馬は「竜のごとき馬」というより「竜の一種」という認識なのだと思われる。これは、次のような伝をみるとより一層はっきりしてくるだろう。

棠木山の龍馬
北朝鮮:京畿道開城:棠木山に住む龍馬が吠えると、壮士が誕生するといわれていた。