龍泉

韓国:慶尚北道安東郡臥龍面

慶尚北道安東郡臥龍面中佳邱洞の前の山麓に龍頭に似た井戸がある。昔、この村に貧しい夫婦がおり、男の子が生まれた。ところが、ある日妻の夢に山神霊が現れ、次のように告げた。

その男の子は命が短い。山麓に数千年を経た蛇がいて、赤子を喰うと昇天するから、この子を生贄とすれば、お前たちは長者になる。しかも、三ヶ月後にはまた男の子が生まれる。山神霊はそういい姿を消した。

妻はこの夢を夫に相談した。とても赤子を捨てることなどできないと思ったが、やむを得ずその山麓に子を置いた。するとその晩、急に大嵐となり大きな龍が現れて昇天した。そして、川が氾濫し、山が崩れるような音がしたかと思うと、家の前に数百石の米俵が流れ着き、夫婦は長者になった。

龍が昇天したその場所に、龍頭に似た井戸ができた。今もこの井戸の水を飲むと男の子を生めるといわれている。

崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)より要約


一見すると日本ではこの話の流れはあり得ないな、というものも、よくよくそのモチーフを見て構成を並べなおしてみると「ああ、これは」となることもある。それで「やむを得ずその山麓に子を置」いちゃうのか、と思うのだが、ここに子を捨てる「真似」をする習俗があったのじゃないかと思うと「ああ、これは」となるわけだ。

より丈夫に育つように、その赤子を捨てる真似をする(あらかじめ親戚などが拾う手筈になっている)というのはおなじみだ。日本の民俗ではこれは「親が増える」ことで、その子どもを守護する祖霊が増える、霊(たま)が強くなる、という具合に説明されるのだが、韓国のこの龍泉の話は、あるいはここにも蛇が関係していたのじゃないかと考えさせられる重要なヒントとなるのだ。つまり、大蛇の生贄に子を捧げる、というモチーフを、「竜蛇による子の産み直し」である、ととらえ直して全体を再構成すると、これは英雄の誕生などにきわめて近いものを語っている、と見えるのだ。これにより米俵が流れ着き、長者となるモチーフは、信州小太郎伝説などを思い浮かべられたい。

捨て子の習俗も、特に胎内潜り的な要素が加わるところでは、「産み直されて強くなる」という印象が強くなる。その究極が竜蛇による産み直しであった、というのはない話ではないだろう。若水の習俗など皆つながってきそうで危険でもあるが、それが答え、という可能性も十分にある。

また、一方でこの話は「運命を告げる竜蛇」というテーマでしばしば紹介しているいくつかの話(例えば「厄年の大蛇」など)に近いところがある、という面もある。

厄年の大蛇
石川県鹿島郡中能登町:旧鹿島町:二十五歳になったら大厄に遭う運命の子を道行きの神さまが縁あって守ろうという。

これらは所謂「神さまの運定め」と関係が深いとよくいっているが(多く運定めの話は夫婦の運命に関する)、韓国朝鮮でもこの夫婦の運定めの話はよく語られ、龍泉の山神霊が出てきてそれを告げるという話型はこれに同じである。そこでこの寿命の運命に関してなぜ竜蛇なのかよくわからない、ともいっていたが、それが「再生」の話なのだと考えると筋が通ってくる気がする。こちらはまだ「気がする」という程度だが、この方向で再構成しても「ああ、これは」となるのじゃないかと思う。