大蛇(またはむかで)退治伝説

孫 晋泰『朝鮮の民話』原文

昔、ある貧しい家にただ一人の娘と母が住んでいた。やさしい娘であった。ある雨の日、一匹のひき蛙が台所へ入ってきた。娘はかわいそうに思って、ひきに自分の飯を食器から取ってあたえた。それからひきは帰ろうともしなかった。娘もまたそれを追おうとはせずに、わずかなる自分の飯を分けてひきにあたえていた。ひきは日一日と大きくなった。寝起きて見る毎に見ちがえるほどずんずん太っていって、ひきはついに犬くらいの大きさになった。ひきの大きくなるに従って娘の食い前は減っていったけれども、娘はいやな顔一つせずひきを養っていた。

その村には大きな蛇が一匹いて、村の人たちは毎年一人の処女を犠牲にして大蛇にささげなければならなかった。そうしないと、村に災難が起こり、大蛇の乱暴によって多くの人畜が殺されるからであった。ちょうどその年の犠牲としてえらばれたのが、ひきを養ったその娘であったのである。期日が迫ったので、娘は自分の身の上をひきに語りながら朝夕泣いていた。ひきも悲しい顔をしていた。いよいよその日がきたので、娘は大蛇の穴の前にひき出された。娘が家を出るとき、ひきものこのことついていったけれども、娘はそれに気づかなかった。蛇は娘を呑もうと穴から出てきた。娘は目をとじ、身をふるわせながら死を覚悟していた。大蛇が娘をのもうとして出てみると、大きなひきが猛烈な毒気(あるいは毒霧)を蛇に向って吐き始めた。蛇も負けずに毒気を吐き返した。彼らはしばらくの間、毒気を吐きつ吐かれつしていた。

娘は目をとじたまま、今か今かと死を待っていたが、なんのこともない。しかし目を開いて蛇の姿を見る勇気もなかった。やがて、すさまじい物音におどろかされて娘が目をひらいてみると、大蛇は娘の目の前に、穴から体を半分出したままたおれていた。どうしたものかと側を見ると、そこには彼女が朝夕飯をあたえて養ったひきもたおれており、そしてあたりは異常な煙でおおわれていた。娘ははじめて、かのひきが毒気を吐いて蛇を殺したことを知り、死んだひきを背負って家に帰り、それをていねいに埋めてやった。

村民は大蛇を穴から引き出してこれを焼いたが、蛇は三ヵ月と十日の間ももえたといい、それからは、娘を犠牲にする悪風がたえたという話である。

大むかでの場合は、箕のように大きいむかでが大きな倉の天井裏にすんでおり、村民たちは娘を倉の中に入れて門を閉める。むかでが娘を食おうとするとき、ひきは下から毒気を吐き、むかでは上から毒気を吐く。そして、村人たちが翌朝娘の骨を片づけようと倉の中へ入ったときには、むかでもひきもたおれており、娘はその傍に気絶している。村人たちは気絶した娘を重湯などでよみがえらせ、むかでの死骸をやきすて、ひきをうめてやるという筋になっている。

(一九二一年十一月、全北全州郡完山町、柳春燮君談)

孫 晋泰『朝鮮の民話』岩崎書店より