大蛇(またはむかで)退治伝説

韓国:全北全州郡完山町

昔、ある貧しい母一人娘一人の住まいがあった。そこへ雨の日に「ひき」が入り込んできた。娘は可哀そうに思って、もともとわずかな自分の飯を分けてひきに与え、養った。すると日ごとにひきはずんずん太って、やがて犬くらいの大きさになった。

ところでこの村には一匹の大蛇がいて、毎年一人の処女を犠牲に捧げなければいけない、という風習があった。そして、ちょうどこの年に犠牲に選ばれてしまったのが、そのひきを養っている娘だった。娘が泣くのをひきも悲しそうに見ていたが、期日が来て、娘は大蛇の穴の前に差し出された。

ところが、娘も気がつかぬうちに、ひきがのこのこついてきていたのだった。娘は死を覚悟して目を閉じ震えていたが、その前ではひきが猛烈な毒気を吐いて娘を呑もうとする大蛇と闘っていた。大蛇も負けずに毒を吐きかけていたが、やがてものすごい音が響いたかと思うと静かになった。

娘が目を開けてみると、そこには穴から半分体を出したまま死んでいる大蛇と、その側で死んでしまっているひきの姿があった。娘はひきを背負って家に帰り、丁寧に埋めてやった。村人が大蛇の死骸を焼くと、三ヵ月と十日の間も燃えたという。

孫晋泰『朝鮮の民話』(岩崎書店)より要約


本邦ではまず間違いなく雌雄を決する闘いとなる百足と蛇だが、日光と赤城の神争いなども伝系によって蛇と百足が入れ替わってしまっていたりと、「そもそも似たもの」という面もある。これは韓国朝鮮でははっきりそうで、あちらでも争いあう竜蛇と百足でもあるのだが、一方で「どちらでもかまわない」という扱いをされている場合もある。

この話例で最も注目すべき点はそのタイトルだ。「大蛇(またはむかで)」ということで、「どっちであってもかまわない」話なのである。この蛙報恩は日本では確実に大蛇を倒して恩を返す蛙(あるいは蛇聟の子種を下す方法を教える蛙)となるが、韓国朝鮮ではそこを百足が互換してしまう。実際に、崔仁鶴『朝鮮伝説集』(日本放送出版協会)の方の384話「むかで山」には、ほぼ同じ筋で大蛇が百足となっている話が紹介されている。先の大蛇の話が韓国の全州市で、むかで山の方は今は北朝鮮の開城市となるので、わりと広くに「どっちでもよい」感があるようだ。

また、どっちでもよいというのとは違うが、大蛇と百足がセットになって同じことを同じ場所でしている、という話もある。こうなると両方出てこないといけない理由は何だ、と難しくなってくる。

龍岩山のおろちとむかで
韓国:慶尚北道栄州郡安定面:龍岩山にはおろちとむかでがおり、かわるがわるに人をとって喰っていた。。