橋に藁を敷く(習俗)

広島県府中市内:旧上下町

矢野の上郷、下郷では、葬列が墓地に向かうと、途中に小川がある。この川の橋を渡るときには、必ず、組の者が橋の上に藁を広げる。葬列は、この藁の上を通って橋を渡ることになる。

他県の例を少し挙げてみよう。
谷川を渡るときには「橋を買う」「川を買う」などといって一文銭を二、三枚投げ込む(高知県)。
葬列の先頭は塩と抹香を混ぜたものを半紙に包んで持つ。葬列が……橋にさしかかれば「橋です」と言いながら、それを摘んでまく(徳島県海部郡宍喰町)。
鳥取県日野町板井原では……途中にある橋に橋竹と称する青竹を一本渡し、野念仏の帰りに、この橋を最後に渡る者がこの竹を川にけり落して帰るものだとされている。

矢野の郷、また他県の諸例に共通しているのは、橋を渡るときに何かの所作があるという点であろう。しかし、矢野と同じ例はない。矢野では、橋に藁を敷くのは、棺の中の霊が川にうつらぬようにとのためである(下郷)。また塩で清めるという(下郷)。前記の徳島県の例は、あるいは、心持ちの上では、下郷の例に近いのかと推測している。

ただ今までは、同一の例は無いので、詳しくは今後の考察にまつほかないと思っている。

『上下町史 民俗編』より原文


葬列、あるいは結婚の嫁入行列も「橋を渡る」という点に非常に神経質になったものだが、概ねそれは土地の境を渡るからである。んが、それだけではないかもしれない。

上下町は今は府中市に入っている。ともかくこのように「棺の中の霊が川にうつらぬように」橋に藁を敷いたのだ(昔の橋故に隙間だらけだったのだと想像する)。葬儀に際して「水鏡の禁忌」があったわけだ。

これは土地の境を渡るからという話とはまた少し違う話だろう。町史もそう述べているように、他に同じような話をまだ見ないので何ともいえない所もあるが、「水の筋を魂は伝う」と考えられた問題と大きく関係すると思われ、大変重要な事例だといえる。

特に関係が深いと思われる、水鏡に映る影を蛇が飲む話は以下参照。

影取池
神奈川県藤沢市大鋸:大きくなり過ぎ捨てられた屋敷蛇のおはんが、人の影を飲んで暮すようになる。