子持石物語

『中条町史 資料編第五巻 民俗・文化財』原文

ある春の日の夕暮れの時、赤川村の庄屋の家に、一人の雲水が訪れて一服の茶を所望した。網代笠に墨染めの衣。そして鉢に杖という粗末な身なりではあったが、きりりと引きしまった顔だちは、どこか冒しがたい気品あふれている。庄屋は、自分のまな娘にお茶を出させることにした。

娘は、雲水を一目見て、ハッとする程ひかれるものを感じ、高鳴る胸を無理に押さえねばならなかった。雲水は娘のそんな気持ちも知らぬかのように、一服の茶でのどを潤し、厚く礼をいって立去って行く。
雲水の立去った後、娘の心のときめきはまだ消えていない。ふと、雲水の飲んだ茶碗の底に少し残っている茶の泡を見つけると、それが雲水の残したただ一つの絆のように思われて、慕わしさが胸一ぱいにこみあげてくる。思わずふるえる手で茶碗を持つと一気にその泡を飲みほした。

娘が自分の体の異常に気がついたのは、それからしばらくたってからである。そして不思議といえば不思議であるが、その後、月満ちてかわいい男の子が生まれたのである。
男の子が片言をしゃべり、よちよち歩く頃再び雲水が庄屋を訪れた。

庄屋が事の次第を話して、雲水に親子の対面を求めたのは自然の成り行きであった。雲水は黙って聞いていたが、かすかにうなずいて承諾した。やがて娘は男の子を連れ二人のもとに来た。雲水はじっとその子を見つめた後、大きく息を吸ってフッと息を吹きかけた。すると、アッという間に男の子の姿は消えてしまい、そこには茶の泡がかすかに畳をぬらしていた。庄屋と娘の驚き、そして悲嘆。

雲水は静かにいった。「何も悲しむことはない。もともと茶の泡が因となってこの世に生まれたもの。今はただ、もとの泡に返してやったのです。」しかし、娘の悲しみは母としての悲しみ、雲水のように簡単に悟り切ることはできない。悲しみの果、娘は遂に一塊の石と化した。石となった娘は時折、石の子を生んだという。
いつの頃からか、村人はこの石を子持石と呼ぶようになった。

『中条町史 資料編第五巻 民俗・文化財』より