子持石物語

新潟県胎内市内:旧中条町赤川

ある春、赤川の庄屋に一人の雲水が訪れて、一服の茶を振舞われた。この時、身なりは粗末だが気品ある雲水の姿に、庄屋の娘が心を奪われてしまった。そして、雲水が立ち去った後、茶碗の底に少し残っていた茶の泡を飲んでしまった。

そして娘は懐妊し、月満ちて可愛い男の子を生んだ。その男の子が片言をしゃべり、よちよち歩くようになった頃、先の雲水が再び庄屋を訪れた。庄屋は事の次第を雲水に告げ、親子の対面を求めた。雲水は黙って聞いていたが、かすかに頷いて承諾した。

雲水の前に娘が男の子を連れてきた。ところが、雲水はじっとその子を見つめた後、息をフッと吹き掛けた。すると、男の子の姿は消え、そこには茶の泡が残っているばかりだった。

庄屋と娘は驚き悲嘆したが、雲水は静かに、悲しむことはない、茶の泡を因として生まれたものが元の泡に帰っただけだ、と告げた。しかし、娘の母としての悲しみは癒えることなく、遂に一塊の石と化してしまった。石となった娘は時折石の子を生んだので、子持石と呼ばれるようになった。

『中条町史 資料編第五巻 民俗・文化財』より要約


雲水高僧に岡惚れしたした娘が、今風にいうと想像妊娠してしまい、実際子を産んでしまうのだが、その僧が再訪して「水の泡」に戻してしまう、という伝説がまま見える。武蔵水子村・羽州月山南麓にもあった。

水子村の由来
埼玉県戸田市新曽:弘法大師を見ただけで娘が孕んでしまった。生れた子を大師が水に入れると形がなくなった。

沼がらの伝説
山形県西村山郡西川町:虚無僧の飲みさしを飲んだ娘が懐妊してしまう。僧が水を吹き付けると子は水に戻り、母は悲歎の余り蛇と化した。

この越後の話は西川のように娘が大蛇になりはしないが、竜蛇とは何かと縁があると思われる「子持石」と化してしまっている。

さて、ではこれらの話が何を伝えているのかというと、現状まだよく分らない。なにがしかを象徴している話だともいえるし、あるいは間引かれるかもしれない子を僧が引き取って行ったことがよくあった、などという極めて現実的な話かもしれない。

それは、僧が娘を弁天の生まれ変わりだと引き取っていく話や、あるいは大変多い水神に祈願して生まれた娘が十六になって入水する、というような蛇娘の話にも同じことがいえる。極端な話、これらが皆同一の面を持つということもありうるだろう。

そういう点からして、この越後の話は竜蛇譚ではないが、どこかに通じる「匂い」がすると思っている。