白蛇の首

『栗源町史』原文

昔、中御門天皇の頃、大畑から助沢に向って行く途中の野原に、白い大蛇が住んでいると云う話が村中にひろがりました。
村の人々は、「これは村に悪いことができる前ぶれに違いない」と、おそれるようになりました。
そこで村中の男達でこれを退治することに相談がまとまりました。

正徳二年(西暦一七一二年)七月の或る日この白い大蛇を退治いたしました。
そしてその首は、岩部村の一番村はずれに埋めることに致しました。
首を埋めるために村中の人達は毎日交代で助沢の大塚(助沢の中心に近い地域)から、田舟へ土を積んで運びました。とうとう大きい塚になってしまいました。
岩部の人々もこの塚を「大塚」と名づけました。これが大畑の「大塚」のおこりだそうです。

また、この白い大蛇を殺し、首を取った所を、今でも「ビャクビ」と云っています。
これは白い大蛇の尾、つまり「白尾」(ビャクビ)を捨てた所と云う意味だそうです。それが自然と、土地の名前になって伝わっているのです。

※この伝説中「中御門天皇の頃」又は正徳二年」と云うのは、大塚の上へ五所権現を祀った年のことであり、大蛇を退治した年代は、はっきりしていません。

『栗源町史』より