白蛇の首

千葉県香取市内:旧栗源町岩部大畑

昔、中御門天皇の頃、大畑から助沢に向かう野原に白い大蛇が棲むという話が村に広まった。村人はこれを良くないことが起こる前触れと恐れ、村中の男たちで退治することにした。

そして正徳二年七月のある日にこの白大蛇を退治した。大蛇の首は岩部村のはずれに埋めることにし、助沢の大塚から土を運んで大きな塚を築いた。これが大畑の大塚の由来である。

また、白い大蛇の首を取ったところを「ビャクビ」といい、尾を捨てたところであるから「ビャクビ(白尾)」の地名となったという。

『栗源町史』より要約


註として、中御門天皇の正徳二年というのは、大塚の上に「五所権現」を祀った年のことであり、大蛇退治の年代ははっきりしない、ともある。五所権現は今も塚上にある小さな祠のことだと思うが、詳しくはわからない。

この旧栗源町岩部大畑の大塚は大塚古墳といってれっきとした古墳なのだが、このように大蛇の首塚であるという伝もあるのだ。一方、古墳としてその大昔の機織機が埋まっているという伝もあり、そちらも参照されたい。双方一読して誰もが思うように、白蛇というのは白機じゃないのか、という可能性がある。

金の機織機
千葉県香取市内:旧栗源町岩部大畑:大塚古墳には金の機織機が埋まっていると伝わる。

また、古墳としての伝といえるかどうかというところだが、「助沢の大塚」から土を運んで「岩部の大塚」を築いた、と言っているところには注目しておきたい。何か意味があるだろうか。