オバラクお爺

『大栄町史』原文

昔、奈土の名主さんのところに、オバラクお爺と呼ぶ人並みはずれた怪力の作男がいた。このお爺は、馬を引いて草刈りに行ったとき、たくさん刈り過ぎて馬が背負い切れずに倒れたりすると、馬の腹の下にもぐり草ごと馬を担いだり、祭りのときはその幟を棒ごと持って歩いたといわれる。また名主さんに「お爺よ。今日は佐原の町へ米を売りに行ってくれ」と言われると、背負い梯子に米を一〇俵もしばり軽々と背負って行ったそうである。

こうした働き者であったから、名主さんはお爺を大変気に入っていた。しかし、名主さんには気になることがあった。それは日頃他の人とあまり話をしないで、ときどき寝静まった頃に一人でどこかに出かける様子があることであった。

そんなある日の朝早く、名主さんがお爺の部屋の前を通るとお爺の下駄がぐっしょりとぬれていたのである。「昨日は雨は降らなかったのに変だな」と思い、夜になってから名主さんはお爺の後をそっとついて行った。そんなことは知らないお爺は、大須賀川に着くと辺りを気づかいながら、着物を脱ぎ川に入っていった。すると長さ六間(約一〇メートル)で米俵ほども太い大蛇になって泳ぎ始めたのである。これには名主さんも腰を抜かすほど驚いた。

この大蛇はもとは松崎(現成田市)の坂田ヶ池の主であったが、あるとき通りがかった巡礼を襲ったため、竜神様からお叱りを受けて、人間の姿になり人様に尽くすように命じられたのである。「あーあ、早く坂田ヶ池に帰りたいな。あれから三年も過ぎ一生懸命働いたのだから、もう竜神様のお許しがあってもよいのにな」と、大蛇は名主さんが見ているのも知らず、気持ちよさそうに川を行ったり来たりしていたのであった。

名主さんはすぐに家に戻ったが、家族にこのことは教えずまだ夜が明けないうちに、西方の坂田ヶ池に向かって竜神様に許してくれるようにお祈りをしたのであった。それから数日が過ぎ、竜神様の許しがあってお爺は大雨の夜に坂田ヶ池に帰っていったという。

なお、オバラクお爺は山武郡から来た人なので、その村名からオバラクと呼んだという説がある。とすると、現在の芝山町の小原子(おばらこ)のことであろうか。

『大栄町史』より