オバラクお爺

千葉県成田市:旧大栄町奈土

昔、奈土の名主の所に、オバラクお爺という作男がいた。刈った草を背負い切れずに倒れる馬を、馬と草ごと担いでしまうような怪力で、また大変働き者だったので、名主もお爺を大変気に入っていた。しかし、名主はお爺が夜中こっそりと出かけることが気になっていた。

ある朝、お爺の下駄がぐっしょり濡れているのを見た名主は、夜にこっそりと出かけるお爺の後をつけた。すると、お爺は大須賀川に行き、着物を脱いで川に入るのだった。そして、驚いたことに六間もの長さの大蛇となって泳ぎ始めたのである。

実はお爺は松崎の坂田ヶ池のヌシだったのだが、ある時通りがかりの巡礼を襲ってしまい、竜神さまから叱られて、人の姿になって人様に尽くすように命じられていたのだった。名主に見られていると気がつかぬ大蛇は、もう三年も働いて、許しが出てもいいころなのに、と呟きながら川を行ったり来たり泳いでいた。

名主はこのことは家族にも言わず、夜の明けぬうちに西方の坂田ヶ池に向かって竜神さまにお爺の大蛇を許してやるようお祈りをした。それから数日、竜神さまの許しがあって、お爺は大雨の夜に坂田ヶ池に帰って行ったという。オバラクという名はお爺が来た村の名だという。芝山町の小原子(おばらこ)のことだろうか。

『大栄町史』より要約


大蛇が人間の「お爺」に変化していたという大変珍しい話。むろん宇賀神などを通じて、蛇神がまた老翁であるというイメージはあるが、それはあくまでも神さまのイメージであって、作男となって日々を送っているという話はやはり珍しかろうと思う。

しかし、爺と大蛇というのも組み合わせて語られることが少なくないモチーフではある。大変仲が良かった(から蛇が言う事を聞いた)というものと、豪傑張りの爺が大蛇を退治するというものとの双方向があるが、いずれ爺と大蛇であることが何かを示しているものと思われる。

寅之助さんとへび
岐阜県恵那市武並町竹折:寅之助さんが山仕事に行くと大蛇がやって来て仲良くなる。

もっとも、竜蛇が人の姿をとるとき老翁になるというのは中国などではむしろ当たり前の感覚かもしれない(実際そうなって助力を乞いに現れたりする)。日本では、下って妖艶な竜女のイメージがもっぱらになり過ぎたせいで珍しく思えるだけかもしれない。

ところで、その坂田ヶ池というのは例の印旛沼の竜の頭の落ちた龍角寺のすぐ南で、関係もあり大蛇伝説があるのだが、「梅の実をかじっている子どもを背負った娘」を人柱にしたという伝説がある(だからこの地に成る梅の実は皆欠けていて「片歯の梅」という)。漁師たちのいう梅干しの種の禁忌に通じるものがあるかもしれない。