岩谷観音とまむし

栃木県大田原市:旧黒羽町堀之内

堀之内の岩谷(いわや)観音は下野三十三所観音霊場の第十番の札所で、無量無辺の衆生を救う千手千眼観世音菩薩を本尊とする。昔、岩谷山(号)周辺には蝮が沢山棲んでいたそうだが、観音さまが蝮を得度したのか、信者に危害を加えることがなかったという。

このことは、『創垂可継』「封域郷村誌」(巻四詢旧)にも、「岩屋(谷)山の辺に蝮蛇多く居ると言へども人を不喰、これ往古より言伝て、観音かの蛇の口を結置給ひしになりと土民の伝なり」と記してある。

近くの長谷田沢(駒込沢)の三霞(みかすみ)は、霞がかかり易いからそういうというが、また神さまがお住みになる土地の伝えもあり、「御神棲(栖)」とも誌す。そして、この地の湿田の蛭は信者に吸い付かないが、三霞の石堀の虚空蔵さまと高館の温泉の神さまがお護りしているからだという伝えがある。

黒羽町『歴史的風土のなかの黒羽の民話』より要約


元話は岩谷観音そのもののことをより詳しく述べているが、そこは割愛。表題の「まむし」に係わるところのみを要約した。

土地の祀る神仏が蝮の口を結わえているから、その土地の信者は咬まれない、という話は大変多くある。また、ここでも続けて述べられているように、似たような神仏に由来して「蛭がつかない」という筋になっている土地の伝も大変多い。

つまり「よくある話」なのだが、ここでは二つのことをクローズアップしておきたい。まず、『創垂可継』に記述があるというところ。『創垂可継』は文化年間に黒田藩主の大関増業が著した「黒田藩百科」だが、内に地誌を含み、土地の伝が沢山記録されている。

殊に「伝説」に該当するものを数多く書き記しているという特徴がある。地誌の編纂が流行った化政文化の産物ということで、そう古くはないのだが、確かにそういった話は近世にも語られていたのだ、ということを知ることはできる(椀貸伝説の記述もある)。

もうひとつは「三霞」について。黒羽城址のある辺から高館のある辺の高台の連なりをそういうようだが、それは「御神棲(みかすみ)」とも呼ばれたのだ、とある。これは「みか(甕)」ではなかったか。

現状黒羽に「甕信仰」を思わせるものは何もないが、白面九尾や八溝の岩岳丸討伐の伝説には、そもそも常陸の大甕神社を中心とする天津甕星神を封じた宿魂石の伝説と相通じるところがある。そこに「みか」のキーワードが見えることは、行く行く重要となるだろう。