川浸り餅

『歴史的風土のなかの黒羽の民話』原文

黒羽地方の歳時習俗に「川渡り」「川浸り」と呼ぶものがあります。十二月の朔日に餅をついて水神に供え、それを食べる風習であります。その日は今年とれたお米で作った餅か、お粥を食べないうちは、小さい川(橋)を渡ってはならないと言われてきました。

この起源にまつわるお話しとして川に餅を供え、鬼が食べているうちに逃げたとか、餅を食べていた時間が長かったために、鬼に食べられないですんだなどが伝えられています。

黒羽町の北野上や大豆田地方には、次のようなお話しが伝えられています。

むかし子どものない夫婦がいたそうです。いくら信心しても子宝に恵まれなかったそうです。ようやく一人授かりましたが、ひ弱い子どもでした。年取ってから生まれた一粒種の子どもでしたので、心配のあまり「この子どもは丈夫で育つだろうか」と巫女を招いで口寄せして聞いてみました。
「今は丈夫でも、この子どもは七つまでの寿命だ」のお告げがありました。前世で定まっている運命とは申せ、何と薄幸な子どもなのであろうと気力を落としましたが、この上は神仏のお加護におすがりするほかにないと信心を重ね、心をこめて養育しました。

この子どもが七つになったある日のことです。「餅をついてください」と言ったそうです。可愛い子どもの願いでありましたから、一生懸命にふくで餅を作りました。一つ作る毎に「南無阿弥陀仏」を唱えて、七つの餅をお重に入れました。すると子どもが「この餅を背負わせてください」と言ったので、背負わせてやりました。子どもは餅を背負って外に出かけました。
「この子どもは餅を背負ってどこへいくのだろうか」と親たちは心配しました。子どもに気づかれないように心を配りながら、川沿いの薮の中を見え隠れしながら追跡していきました。どこに行くのかと思ったら河原へ降りて行ったのです。見ていると餅を「どっこいしょ」と背から下しました。これからどうするのだろうかと思って、子どもの背越しに橋の上を見たとき驚きました。大蛇が首をもたげ、子どもにおどりかかろうとしていました。思わず「あ!危ない」と声をかけようとしました。

その時です。子どもが大蛇にめがけて一つの餅をポンと投げました。大蛇はパクッと餅をくわえて降りました。食ってしまうと大蛇は橋の上から子どもの方を覗きました。そうすると子どもがまた餅をポーンと投げました。そして食ってしまうと、また橋の上から覗きました。そうすると子どもが餅をポーンと投げました。大蛇はまたパクッと食ってしまったそうです。
親たちは「あと幾つ、あと幾つ」と餅の残りを数えながら、子どもの安全を祈っていました。 「ああ、あと一つだな。あれ一つ食べたら、大蛇が子どもにかかるのだろうか」と思って、思わず神仏に手を合わせました。
その時です。大蛇が口をきき「餅を全部食べ終ったらこの子どもを取ってしまおうと思ったのだけれども、陰の方で親たちが、子どものことを心配して、神仏に手を合わせて祈っていましたので、信心の深さと親心がもったいなくて、子どもを食べることはできない」と言いました。

子どもはすくすく成長し、長く生き、幸せに暮らしたそうです。それが「かぴたり」(川浸り)の日に水難をよけるために、水神さまにふくで餅を供えるようになったいわれだそうです。なお地方によって大蛇のかわりにカッパが登場するところがあります。六月一日と十二月一日に水神さまをまつる地方が多く見られます。

黒羽町『歴史的風土のなかの黒羽の民話』より