思川にまつわる話

『栃木市史 民俗編』原文

昔、思川の近くに若夫婦が住んでいた。人もうらやむほど仲むつまじかったが、妻が病気になってしまった。夫は一生懸命看病し、薬もいろいろ飲ませたが、いっこうに良くならない。そこで夫は、近所の神社にお百度参りを始めた。

ある晩、妻が眠れないでいると、夫が、皆の寝静まったのを見すましてから、こっそりと家を出ていく。長患らいで夫に苦労をかけ通しだというひけめと、病気で心身ともに弱っていたために、妻は邪推した。「きっと寝たきりの私がいやになって、誰かよその女のところに行くに違いない。」

翌日の晩も寝たふりをしていると、夫はまたこっそりと家を出ていく。いままで起きあがることさえできなかったのがうその様に、邪心に支えられた妻は、足早にすすんでいく夫のあとをつけていった。すると夫は、神社に行き、お百度参りを始めたのだ。

妻は、あれほど心身になって世話をしてくれる夫のことを疑ったことを悔みながら、家にとって返した。途中、月明りの川面に映った自分の姿を見て驚いた。なんと、大蛇になっていたのである。自分の醜い心と姿を恥じた妻は、川に身を投げた。

それ以来、その川のほとりを若い女性が通ると、大蛇があらわれてきて食ってしまうようになった。自分の様に不幸な女が、この世に二度と現われないようにと思ってである。

そこで、年に一度、村の娘を人身御供として大蛇に差し出すことになった。ある年、五万長者の娘に人身御供の順番が廻ってきた。長者が何とかして娘を助けたいと思っていると、親鸞上人が通りかかった。話を聞いた上人は、長者や村人たち、そして大蛇となってしまった妻にも同情した。

いよいよ人身御供を捧げる日。上人は、大蛇があらわれると、南無阿弥陀仏と書いたお札を投げつけ一所懸命祈祷を始めた。すると大蛇は、娘をおいたまま苦しみもがき続け、天に昇っていった。間もなく、天から蓮華の花がたくさん落ちて来た。そこに建てたのが蓮華寺である。

又、妻が姿を写した川が姿川で、身を投げた川が思川であるとも伝えられている。

『栃木市史 民俗編』より