だまされた大蛇

茨城県常総市

鴻野山部落の百姓たちが、田を拡げようとしたので、飯沼のヌシの大蛇が棲むところがなくなっては大変と、あちこちに出没して開墾の邪魔をした。村人はお上に願い出たが、大蛇の恐ろしさを知る役人は、なだめるだけで取り合ってはくれなかった。

そこで村人は菩提寺の和尚さんに相談した。和尚さんはまかせるようにいって大蛇に会い、東に行くと霞ヶ浦という広く美しい湖があるから、十年だけそちらへ隠居してくれないかと持ちかけた。大蛇は了承して証文をくれといった。和尚さんは隙を見て十の字の上に墨を垂らした証文を渡した。

十年が経って大蛇が飯沼に帰って来た。証文を見せてふるさとに永住するという大蛇に、和尚さんはまだ早い、といった。十の字の上の点を見せて、これは千年の証文だ、と和尚さんはいった。騙されたことに気づいた大蛇は目を剥いて怒ったが証文がそうでは仕方なく、霞ヶ浦に戻って行った。飯沼の方の人が霞ヶ浦を舟で渡ろうとすると転覆するのは、だまされた大蛇の怨念であろうと伝えられている。(渡辺義雄「蛇の伝説」)

『茨城の民俗18(蛇・竜の民俗特集)』より要約


お坊さんはよく大蛇を騙す。この千を十に見せた証文というのは常套手段で、あちこちで語られる。たとえば慈覚大師円仁和尚もやっている。

蛇石の事(岩蔵寺縁起)
宮城県岩沼市:慈覚大師が千を十と見せる証文で地主の大蛇を騙す。

弘法大師も線香が燃えつきるまでの勝負を仕掛けて、途中で線香を半分に折ったりする。とかく大蛇はお坊さまには「してやられる」のであります。

しかし、これも血脈を授かったり、お経に教化されたりして昇天する大蛇の話と、紙一重の話なのだと思える。そういう意味では楽しい昔話、というだけでもなく、これも水利権などを語る面のある話型なのだろう。