尾形三郎伝説

『気仙沼市史 VII 民俗宗教編』原文

市内羽田の「月山権現社」について、安永九年(一七九〇)の「風土記御用書上」には、「往古誰勧請と申義相分不申候得共尾形三郎惟義建久二年當國ニ下向同三年當社再興仕候由申傳候事」(『宮城縣史26』)とある。『奥羽観蹟聞老志』(一七一九)や『封内風土記』(一七七二)などの近世の地誌類も大同小異であるが、民間にはより豊かに伝承され続けてきた、次のような型の話がある。

羽田に野尻家っつ家があって、その家にとてもきれいな娘があったんだそうだね。そこさお和子さんという人が毎晩来るから、お袋な人が、がんづいた(気がついた)から、「何だか毎晩来ているようだが、誰だかっ?」っとなったわけっさ。始まりは隠してたけんとも隠したてられねがらね、「本当はお和子さんに来られる」って言うわけっさ。そうしたればね、「ふんだら、その人と一つで寝でみて体温がうんとホドル(温まる)か冷たいか、なぞったや?」と、こうなったっつんだね。「なんだかそういえば、ホドリのねえ、なんとなく冷たい人だと、こういうことだったんだね。「そんだらなあ、その人、人間ではないぞ」と、なったんつんだね。「俺が教えるから、麻をつないで着物の裾と思うどこさ針を縫っ込め!」。そして、その針の先を、その次の晩げに着物の裾と思うどこさ縫っ込んだんだね。そうしてたどころにね、「次の日になったら、それを頼りに尋ねて行ったところがね、北太田っつとこさ行ってるつんだね。そうして行ったところが、屏風岩さ行って穴があったんだね。そうしたところが大蛇だったんだと。そして今度は娘が行ぐってわかんねから、娘を入れてやったんだね。そうしたところが、姿は見せないでね、「俺がオメさ通ってるのを、オメにわかられてしまったけんとも俺の姿は見せられね。オマエの腹さ子供入ったから、そいづが生まれたらば尾形の三郎惟義と付けろ」と言った、とこういうわけなんだね。

この話の型は、「日本昔話大成」の分類では「蛇聟入・苧環型」に相当し、古くは記紀や風土記にもみえるが、尾(緒)形三郎なる歴史的人物と結合した伝説は『平家物語』や『源平盛衰記』にすでに記されている。つまり、現在市内で採集できる口頭の伝承は、近世の無味乾燥な地誌類を通り越して、いきなり『平家物語』の世界と渡りあうほどの迫力を備えている。

(中略:苧環型伝説に関する考察)

また、羽田の物見川にあるノド淵には、大旱魃の年に淵の水を汲み上げようとしたところ、大雨が降り出したという伝承がある。その淵には喉に痣のある大鰻がいて、身の危険を感じたために雨を降らしたのであろうといわれている(『羽田周辺の民俗』)。『平家物語』では狩衣に刺した針は大蛇の喉笛に刺してあったという。『平家』では大蛇の子を「あかがり大太」といい、その五代後が「緒方三郎」であり、さらに三郎の子を「野尻の次郎」という。『平家』による直接的な伝承であるかどうかは別として、羽田の周辺ではノド淵を初めとして、太田山や野尻家などという固有名詞からみるかぎり、『平家』の伝承を伝説化していることが理解される。ほかに、羽田神社には尾形三郎惟義の塚も現存している。

(この他別の由緒である三姉妹伝説で繋がる岩月千岩田の見渡神社別当家、角地の千手観音の家も共に「尾形」)

『気仙沼市史 VII 民俗宗教編』より