尾形三郎伝説

宮城県気仙沼市赤岩上羽田

羽田の野尻家に綺麗な娘がいた。娘の所に毎晩お和子さんという人が通ってくるのに母が気がつき、様子を訊ねると、えらく体温の冷たい人だという。母はそれは人ではないと気づき、麻の糸を付けた針を刺すように娘に教えた。

娘はそのようにし、翌日糸を辿って北太田の屏風岩の穴へ行った。中にいたのは大蛇だったが、姿は見せなかった。中から娘に声をかけ、俺の姿は見せられない、お前の腹に子ができたから、生まれたら尾形の三郎惟義と名付けろ、といった。

『気仙沼市史 VII 民俗宗教編』より要約


これは気仙沼市の羽田神社に関する伝説で、この社は、安永九年文書に「往古誰勧請と申義相分不申候得共尾形三郎惟義建久二年當國ニ下向同三年當社再興仕候由申傳候事」とあり、尾形三郎が再建したと伝えている。また、関係寺社も土地の「尾形家」にまつわるものだそうな。

大枠では源義経に従った緒方三郎惟義が三陸に下向し、尾形と改め各社を勧請・再建し、この地に一族が残った、という伝となる。そこから見たように、そもそも尾形三郎は土地の大蛇との間に生れた子だったのだ、という伝説が出てきたのだろう。

『平家物語』緒環にほぼ同じ話で(本来大蛇の子は三郎の五代前)、『平家物語』にいう三郎の子「野尻の次郎」と当地の野尻家、あかがり大太と太田(おおた)地名の類似なども伝説の枠を構成しているだろうと市史は指摘している。

緒環(古典)
『平家物語』巻第八・緒環:緒方三郎維義(惟義・惟栄)の祖である大神惟基の父は大蛇であった。

羽田神社社地には尾形三郎惟義の塚も現存しているというが、『平家物語』から土地の一族の伝説と化したこのような「蛇の子三郎」の伝承の中心が気仙沼にある。

また、ここから北へ行って八戸に八郎潟の八郎、八の太郎の出生伝説があるが、そちらに影響が及んでいるかもしれない。比べて見ていただきたい。

八の太郎の誕生
青森県八戸市十日市:土地の娘お藤の元に八太郎のヌシの大蛇が通い、八の太郎が生まれる。