源兵衛淵

宮城県仙台市青葉区

広瀬川が仙台の西端の米ヶ袋の裾を流れて行く所に源兵衛淵という深い淵がある。昔、此の淵に臨んだ崖の上に源兵衛という者が住んでいた。ある年の梅雨頃、夜更けに源兵衛の家を訪れた者があった。源兵衛が起きて見ると、美しい若い女がいて「私は此の淵に棲む主の鰻であるが明晩、賢淵の主の蜘蛛と合戦をする事になった。その時ひとこと源兵衛ここに控えるといって貰えば私の方が勝つのだから是非頼む」といった。源兵衛は承知する。あくる夜、天地も轟く音がしてはたして蜘蛛が攻めて来たが余りの怖しさに源兵衛は「ここに控え居る」の助言がいえなかった。夜が明けてから見ると、淵は一面血汐に染まり向う岸に大きな鰻の首が横たわっていた。これを見た源兵衛は病気になって死んでしまった。それ以来、淵を源兵衛淵というようになった。(『郷土の伝承』)

『日本伝説大系2』より原文


『大系』では「亀鰻合戦」という亀と鰻のヌシ争いの表題話となっており、この仙台の源兵衛淵の伝説は類話の方に収録されている。しかし、三陸に多いこういった鰻(蛇)と蜘蛛(蟹・亀)のヌシ争いの話を代表するのは源兵衛淵の伝となる。

これらは概ね助力を請われた猟師が、酒を呑みすぎたり、夢だと思ったり、あるいはこのように闘いを恐れて勤めが果たせなかったりして、鰻・蛇に合力することができない、という筋となっている。俵藤太が呑みすぎて百足と蛇の合戦に遅れたら、と思えばそのような話である。

すなわち、亀とすることもままあるが、蜘蛛・蟹という鰻・蛇に対峙する存在を百足からの派生とみて良いのではないか、ということだ(無論、ヌシ争いという骨格の面に限って言えば、ということ)。そういう点からは「脚が多い」存在である蟹の方により注意を向けて結びつけておくべきかと思う。

三階滝の蟹鰻合戦
宮城県刈田郡蔵王町:蟹に侵出され困った古鰻が狩人に助勢を頼むが、裏切られて蟹に切られてしまう。

この類話もそうだが、全体的に鰻・蛇のながものの方が人間に助力を乞い、失敗して蜘蛛・蟹に負けて死ぬ、という共通する展開を持つ。ただし、遠く離れて岐阜県郡上市の方に同系話があるが、そちらではこの関係が逆転している。

水蜘蛛
岐阜県郡上市内:旧美並村:水蜘蛛が鰻とのヌシ争いに合力してほしいと、土地のお爺の夢枕に立つ。

ちなみに、鰻は「賢淵の主の蜘蛛と合戦をする」といっているが、源兵衛淵近くには実際に賢淵があり、ヌシの蜘蛛が釣り人に糸をかけてくるという「賢淵」の伝説がある(『仙台市史 特別編6 民俗』)。