七所弁財天

鹿児島県南さつま市

坊津の一乗院を取り巻く山々に弁財天の祠があり、七か所あるので七所弁財天という。いつのころか、一乗院に大変徳の高い上人がいて、村人たちから尊敬されていた。しかし、いつの間にか上人のまわりに七人の美女が傅くようになり、上人さまも女色には勝てないかと噂になってしまった。

上人は困って、七人の美女を呼び出すと、こんこんと仏道を説き、すぐにこの場から去るように言いつけた。美女たちは尊敬する上人の言葉を聞いて、迷惑をかけては……と、忽ち七匹の蛇となって一乗院を見守る山上にそれぞれ登って行った。これが七所弁財天だという。

『坊津町郷土誌 下巻』より要約

一乗院というのは百済の僧・日羅の開基と伝わる大変な古刹だったのだが、廃仏毀釈の折に廃絶している。現在寺跡が県指定文化財となっているようだ。下って真言宗の寺となっており、日蓮宗の七面さんであるというようなことではない。

この七所弁財天(ななとこいのべんざいてん)の伝説がいつのものかは良く分からないが、上人の名は頼政といったともいう。現在七所に弁天さんがあるのかどうかは不明。

そのようではあるが、実際過去あって、この七所を巡るような参拝の次第などがあったとしたら際立った例になるだろう。概ね七所(ななとこ)巡りというのは成り立ちが様々な社をあとからオーダとして組むものだが、はじめから七所と定めて祀る様式も確かにあったという事例になるかもしれない。

武蔵の方ではかつての見沼のまわりに複数の弁天を祀って「見沼弁天」というオーダが組まれていたが、弁天で囲むの意とは何かなど比較してみるのも面白い。より詳しい来歴や現状が知れたら、さらに、七諏訪・七塚と、いろいろな「七所」と比較して見たい。