スドー銭

鹿児島県薩摩川内市下甑島

1:子のない爺婆が畑でつかまえた小蛇を煮た物で養うと、言い伝えどおりに大蛇になったので、スドーという名を付けて囲炉裏の上座にすえて暮らしていた。元旦に親戚が来るので、一日中屋敷の隅に隠して晩には出したが、飯も食わず死んでしまう。三日間は葬式も出せないので納戸に死体を入れておくと、明け方に騒がしい音がして家の中が明るくなる。朝になって見るとスドーが家いっぱいの白金黄金になっていたので、お陰で二人は楽な暮らしをした。それからスドー金(がね・朱銅銭)ができた。(甑島旧 p.154 甑島新 p.148)

2:子供のない爺婆が畑で拾った卵を地炉でぬくめると、蛇の子が生まれる。スドーと名づけて養うと大蛇になるが、近所の人は恐れて爺婆とつき合わなくなる。殿様が重病になり、医者が「スドーという者の生き肝を食べれば治る」と占ったので、スドーは捜し出され、爺婆はやむなくさし出す。殿様はその生き肝を食べて快気し、爺婆にたくさんの礼金を与えた。それからスドー銭はできた。(甑島旧 p.155 甑島新 p.149)

(ともに鹿児島県薩摩郡下甑村手打・男・蛇息子・類話)

『日本昔話通観25』より

二話とも「蛇息子」の類話で梗概なので、本文はそのままとし、題を独自につけた。他に蛇息子が雨をもたらすタイプなどもあるが、大筋このような話となる。引いた前話では、大歳の客を思わせる結末となっていたり、後話では中国的な肝を取る話になっていたりとそれぞれ興味深いが、そのあたりの展開はさておく。

ここでは、蛇息子の名が「スドー」である点に注目したい。通観上、周辺の他の類話でも「九造(おそらく、くぞう)」「始終(しじゅう)」と、同系の名がよく出てくるように見える。陸前の蛇息子の名に「四蔵(しぞう)」、伊豆に「しずお・しづお」、越中の話として「しどー」、三河設楽に「しど」と見えるのだが、この「すどー」も同じ流れと見え、そうなるとかなり広い範囲に見える共通の名であることになる。

このつながりが何を意味するのかは今のところわからないが、大いに注目してよい両者であるといえるだろう。