蛇息子と祠堂金

愛知県北設楽郡設楽町

子のない爺と婆がいた。爺と婆が「山へ行って一番先に見つけたものを子にしよう」と二人で山に行き、小さな蛇を子供にする。蛇はシドと名づけられ、近所の子供たちと遊ぶが、大きくなって恐れられるようになる。爺と婆は蛇を池に住まわせる。シドが村人に害を与えるというので村人が退治に行くが、こわがって逃げ帰り、爺が説得に行く。シドは爺にあやまり、「自分を殺してくれ」と言い、「私の目を一つやるからおひつに入れておけば、米でも銭でもほしい物が出る。人には見せるな」と片目を与える。爺がシドの首を打って帰ると村人は喜ぶ。爺婆が遊んで暮らしているのを不審に思った役人が来て、シドの目を取りあげる。爺と婆が池のふちへ行って話すとシドが出てきて、「残りの一つの目玉をやるが、夜明けがわからないから明け六つと暮れ六つに鐘をついてくれ」と言う。シドを退治したときにお上からもらったほうびをお寺にあげたので、それからお寺にあげる金を「祠堂金」と言うことになった。(設楽稿 No.8)

『日本昔話通観13』より

通観上梗概なので文はそのまま、タイトルを独自につけた。目玉の授与から時を告げる鐘のあたりは蛇女房のようだが、蛇の残す宝珠というのは本来触れるものを増殖させる、という機能を持つ呪物であったと思われ、そのあたりの感覚はよりよく伝えている。

さて、この話は、陸前の蛇息子の名に「四蔵(しぞう)」、伊豆に「しずお・しづお」、越中の話として「しどー」、薩摩甑島に「すどー」などと見えるその名の共通性という問題の一環を成すのだが、特に甑島の話とは並べてみておくべき話である。