韮山村大字奈古谷の山中に、灰白色の小蛇が、石腹の間隙に棲んでいる高さ二丈ばかりの石があるのを、俚俗に、蛇石と呼んでいるが、こうした事は、昔からの事であると言われている。(「増訂 豆州志稿」)
「槃游余禄」に、『蛇石のもとに至る。大師の筆にて、梵字を彫りたり。此石のなから幅二三分ばかり割れたる中に、白きくちなは、幾年ともしらず籠りすみぬる由、のぞき見ればげに、割れたるくちよりも大きやかなるが、隙間の形に、長く横たわりて居れり云々』と見えている。
奈古谷の名刹・国清寺の南から山中の毘沙門堂へ登る道すがらの真ん中あたりに、今も蛇石(じゃいし)はある。一説に、土地を悩ました白蛇を国清寺の高僧がこの岩に封じ込めたのだともいう。往時からは少し転がってしまったようで、どの割れ目のことをいっているのかもわからないのではあるが。
しかし、この「割れ目に白蛇」は要注目の点だ。おそらくこれは「割れ目に白蛇の横腹が見える」という話ではなかったかと思う。そして、それは巨岩中に見える石英脈のようなものではなかったかと思うのだ。
そのように、巨岩の割れ目に白蛇が棲む、という話はままある。駿州では藤枝にそういった岩があるかあったかしたという(「花倉白蛇」)。この話にはこれも横腹が見えるということだったのだろう、という感触がある。
はっきり横腹といっているものとしては、濃州になるが恵那に端的な話がある(「ヘビの神さま」)。これを信仰していると金に不自由しないというのも示唆的だ。蛇はみなそうなのではあるが、あえてそこを強調するあたり、鉱脈のことをいっていた可能性というのが感じられる。
白蛇が金鉱脈を示す白帯のことをいっているのじゃないか、という話はままあるが、これら岩の割れ目の蛇の話には端的にそれを示す可能性がある。