大沼の龍神

静岡県御殿場市

十二世紀の始め、東田中のほとんどは大きな沼で、大森氏の一族大沼親清が田を開いて伊勢の御厨としていた。ある年、沼にたくさんの鴨が降りてきて領主親清は鴨狩りの支度をした。ところが、明くる日赴くと、あれだけいた鴨が一羽もいなくなっていた。

家来曰く、沼の主の龍がいて、それが鴨を食べ尽くしてしまうのだろうという。そこへひとりの里人が申し出て、龍は柿渋が苦手なのだ、渋で鱗が閉じて、体の自由が利かなくなってしまうのだ、といった。そこで領主は家来たちに国中の柿渋を集めさせ、沼に流し込ませた。

すると、夕暮れ近くからだんだん黒雲がわき起こり、雨の降る中突然沼から水しぶきがあがり、世にも恐ろしい龍が飛び出した。龍は苦しげに幾枚もの鱗を落としつつ、黒雲に乗って二の岡の方へ飛び去った。里の人々は恐れ、龍が芦ノ湖へ身を隠してしまった、と噂した。

領主も鴨狩りどころではなくなり早々に館に帰ったが、それ以来冬には雪が降らず、春が来ても雨が降らぬようになった。大沼の水は減ってきて、田を作れない人も出始めた。これは龍にひどいことをしたせいだと人々は不吉に思ったが、はたして数年のうちに大沼の水はすっかり涸れてしまった。

大沼がなくなれば田も作れず、領民は貧しくなり、大沼家は衰えた。やがて大沼親清たちは、その地を捨てて周辺各所に移り住んだという。別れた一家に内海という名があることや、沼を舟で渡ったので便船塚という地名が残ったりしているところに、大沼のあった痕跡がある。

勝間田二郎『続 御殿場・小山の伝説』より要約

御殿場は御厨であり、今もある神明宮がその痕跡だともいうが、それは大森氏の祖が中臣(藤原)氏で伊勢の神官だったからだとも、大森に住んだ甲斐国司藤原惟康のおじが熱田神宮の宮司であった関係だともいう。その御厨は大沼から開けたのだといい、こういった龍の伝説がある。

龍が去って大沼氏は衰えたというが、本家の大森氏は下って室町に至り、西相模に進出してから大きな活躍をする。時代背景はあるいは話としてこうまとめられたということで、それぞれの事象は分けて考えるべきかもしれない。

というのも、大沼があったとして、その消滅という現象があったなら、より古い時代、富士山の貞観の大噴火ないし承平の噴火によるのではないかと思う故だ。このとき、剗の海の分割をはじめ、実際に富士山周辺の地形は大きな変動をしている。流し込まれる柿の渋というのは溶岩流を彷彿とさせもする。

もっとも「伝説を必要とした人たち」と考えるなら、より新しい時代の要請であるのかもしれない。すなわち、宝永の大噴火後の復興のとき、ということだ。土地が重要と思う主たる水場が移った経緯と竜蛇の動きが一致している。