赤牛の成仏

静岡県伊東市

昔、対馬村の龍渓院から山奥に福泉寺と古池があった。寺には住持もなく、一夜泊まりの修行者などが生きて帰らぬという怪が続いた。美濃の斎藤龍興の三男和泉守良孝は若年出家して諸国行脚の途次、永正十七年伊豆を訪れ、この怪談を耳にし、自分が一泊することにした。

夜半に庭に赤牛が現れ鳴いた。それは嘆き訴えるようでもあり、良孝は仏性あれば、耳目自言の身と化して来いといった。すると、十六ほどの乙女が来て、自分は古池の主である、千年を経たが仏法の有難さが分からない、教えを受けようと一泊の修行者に頼んでも怪しみ危害を加えようとするので、殺害してきた、と。

良孝は早速三帰戒を授け、説法をした。乙女は礼拝して去り、夜が明けた。村人が大挙してやって来ると、良孝は生きていて、昨夜の話をした。人々はその徳に感銘を受け、留錫を請い、龍渓院の開山となってもらった。赤牛は成仏し、護法一龍八王大美神と称えられた。(龍渓院由来記)

小山有言『伊豆の伝説』
(安川書店・昭和18)より要約

近いところだが、一碧湖の赤牛とはまた別の赤牛の話。今の池地区の話だが、名の通りかつては池がたくさんあったといい、伝の古池もそのひとつであったという。福泉寺はもうなく、古池らしきものも見えないが(福泉寺の材は龍渓院の観音堂に用いられているという)。

もと資料ではこの話によって良孝が福泉寺を開山した、となっているが、これは龍渓院の由来の話なので、龍渓院を開山した、の誤りだろう。要約もそのようにしてある。

しかし、牛の話とはいえ、この筋は血脈を授けてもらいに現れる竜女の話などにきわめて近く、牛が竜蛇と非常に近しく語られている事例といえる。また、水の赤牛の話は土砂災害などを語る、とは必ずしもいえないだろう、ということも示している。

竜蛇の話は無論土砂災害などの暗喩を含むが、竜蛇の話をみな災害に結び付けるのは馬鹿げたことだ。同じことは牛の話にもいえる。