明神山の大蛇

長野県下伊那郡阿智村

胴廻り三尺余、長さは三十尺もの大蛇。眼は北極星のように光り、舌は炎のようで、鎧のような鱗で暴れれば大木を根こそぎにした。遠く黒川・大平・松川入りの方迄一夜の内に獲物を探し、三十貫もの猪や鹿を尾で一撃に薙ぎ倒し呑み、昼は千貫の大石を巻いて寝た。大蛇を見た人は、その毒気にうたれ発熱し病気になった。

然し、その山から流れる谷水は、大蛇の精気を宿し、殊に男には覿面であった。それで精力が盛んになりすぎ早死にするので、その地は後家が多いのだという。そんな大蛇が山にすみ何年も過ぎた。不老の大蛇といえども、衰えが見えてきたかという夏、激しい山火事が始まった。

千年の大木が見る間に燃えつくされる中、山に登って防火線を切っていた人が見ると、大蛇は大石に尾を巻いたまま、悠然と火の海に浸かっていた。自分の定命を知ったのか、神々しいまでに荘厳だったが、ついに火勢が大蛇を包んだ。その時、豪然と大雷雨となり、一塊の黒雲が大蛇のいたあたりから巻き上がった。

山火事は大雨で消えたが、大蛇はその油のせいで、大石を抱いたまま七日七夜と燃え続けた。そしてついに油も燃え尽きたとき、石を巻いていた大蛇の体がバラバラに飛び散り、千貫の大石は生あるように転がりだして、十町下った村里の今の友重の家の裏でピタリと止まった。今でも蛇ぬけを防ぐかのように横たわるその大石は村の人たちに珍しがられている。

『清内路村誌 下巻』より要約

清内路のどのあたりのことなのかわからないのだが、黒川には花崗岩の大石の転石が多いという。それにしても、最後だけ見れば、大雨を降らせた大蛇の精の宿った大石が村を蛇抜けから守っている、ということになり、なかなか解釈の難しいものとなっている。

しかし、蛇抜け(土石流など)で押し寄せた大石が、あるところで止まって一段落ついた場合、その大石を「これ以上下ってくれるな」というニュアンスで祀ることはままあると思われ、そう思えば大蛇が一見相反する役割で描かれているのもわかる気がする。

また、大蛇がいたがゆえにその谷川の水が精気に溢れすぎて、その水を飲む人間の男衆が早死にした、というのも面白いところだ。大蛇の恨みで水が毒されているので、というのと言い回しが違うだけという気もする。そういう話の展開もあるのか、というところか。