湯本のかま淵に、或男が誤って斧を落し、水をくぐって取りに行くと、淵の中でお姫様が機を織っていた。落した斧の外に一本の木管をも頂いて帰り、その後は木管を持ってかま淵の岸に立ち、欲しい物の名を云って頼むと何でも貸してくれた。この淵はそれ以来膳椀などを貸してくれる便利な淵となったが、お姫様から鶏の声をさせてくれるなと云われた言葉を忘れ、鶏を飼ったためにその後は何も貸してくれなくなったという。(『甲斐伝説集』)
かま淵はまた御姫淵ともいって、このような姫のいる淵として周知されている。いろいろな伝説があり、また椀貸伝説としても話の幅がある。例えば、この樵がお姫様に道志の艶話を所望されて、一生懸命語って喜ばれてお礼に木管をもらってきたりもする。
また、湯本に鶏がいない理由というのは共通して語られる要素なのだが、その理由が、語るなと言ったこの一件を洩らしたのに姫が怒って、淵から怪鳥を飛び出させ里の鶏などを皆攫ってしまったので鶏がいない、などともいう(共に著:伊藤堅吉『道志七里』より)。
今回この話で注意しておきたい点は、その「鶏が鳴いたので竜宮(だろう)からの椀貸の道が途絶えた」というところだ。一般に椀貸伝説の結末は「借りた膳椀を返さなかった」「壊したことを黙って返した」のいずれかで縁が切れるという話運びになっている。
しかし、一方でこの伝説を伝える土地にはまま「その伝説の竜宮の椀を伝世した旧家」というのがあり、いささか話が矛盾することになる。不心得の成果を家宝としているはずはなく、「不正直の戒め」は後から一世を風靡した型なのではないかと思えるのだ。
そうしてみると「不正直」を語らずに竜宮との縁が切れる椀貸伝説というのは重要になるが、甲州にはそういった事例がまま見える(「清泰寺の蛇骨」など)。