清泰寺の蛇骨

山梨県北杜市

片颪の清泰寺二十五代の方丈白雲の頃。釜無川の曲淵に不思議があった。この淵に祈れば、時を限らず膳部が貸与されるということだった。村人は人寄りがあると淵に膳部を貸してもらったが、白雲はそれが何者の仕業であるのか確かめねば気が済まなかった。

そこで白雲は淵に祈願し膳部を借りて、そのまま返さずにいた。すると、五日目の夜、面高の女が訪れ、貸した膳部を返してくれるよういってきた。白雲はしばらく黙して女を見ていたが、女の真っ白な手が前に差し出された瞬間、一刀抜く手も見せずに斬りつけた。

次の瞬間には女の姿はもうなく、切り落とされた腕だけが横たわっていた。しかも、その腕は妖しくも見る見る鱗重なる大蛇の腕と化したのだった。その後はもう膳部を借りに行く者もなくなった。件の腕はいまも蛇骨として清泰寺に蔵され、片颪の雨乞いには必ずこれに水を注いだという。

北巨摩郡教育会『郷土研究 第二輯 第一冊 口碑伝説集』
(昭和10)より要約

片颪という面白い地名は今はもうないが、現在の白州町花水あたりとなり、清泰寺も現存している。中興開基がその曲淵に由来する名の曲淵氏となるのが面白いが、伝説との関係は不明。

寺にはまた違った伝説もあるようで、再興の雲鷹玄俊和尚が裏山に棲み村に悪事を成していた龍が和尚の座禅に心打たれ改心した際、一本の足を自ら食いちぎって差出した、というような筋も語られる。伝わる蛇骨が竜蛇の片手足だ、というところが話の中心らしい。

椀貸し淵の伝説としては特異な後半で、正体を確かめようと斬りつけたことがその貸与の幕だった、という話はあまり見ないだろう。