伊勢宮の雨蛇と烏

神奈川県横浜市磯子区

六七十年前、磯子の後の山に伊勢宮が祭られ、その親睦の老松の洞穴に雨蛇という蛇がいた。雨蛇が美しい咽喉をころころ転ばして鳴くと、明日は雨だといわれ、間違いなく降ったものだった。雨蛇は普通の蛇体と違って、大きな耳が確かにあったという。

雨蛇は伊勢宮のお使いとされ、子供達まで信じ切って悪戯などしなかった。祭りの時には湯立の式などを老木の穴から頭を出して眺めていたそうな。宮詣りの者も、木の下に立ち寄って雨蛇を見てから帰るのが例となっていた。

ところが、ある年の夏、海が荒れ雷鳴がとどろき、この老松に落雷してしまった。神木は裂け、雨蛇も斃れてしまい、再び姿を見ることができなくなった。今はもう古老の語りから、かつて人と雨蛇とがお互いを眺めていた長閑な光景を想像するばかりだ。

また、伊勢山の烏が鳴くと死人が出るともいわれていた。昭和になっても、山で烏の声がすると、親類縁者に不幸がないかと不安に思う者があるという。

栗原清一『横浜の伝説と口碑・上』
(横浜郷土史研究会・昭5)より要約

現在磯子に神明社というのは法人社では見ない。鎮守である日枝大神の御祭神中に天照皇大神と見えるので、合祀されたのだと思うが、明治四十一年のことだという。

そこにこういった雨蛇なる雨を告げる蛇がいたのだという。話としてまとまることがあまりない蛇の側面として、告げるもの・託宣の蛇、という面があるが、この雨蛇にはそういったニュアンスがあるのかもしれない。その雨蛇の耳が大きかった、というのは、耳が大きい蛇や鰻の話のヒントであるかもしれない。

また、私はこの雨蛇の様子が、船霊さまの「いさみ」によく似ていると思う。船にこめられる船霊は、各地で海の荒れを前にしたり、所によってはその年の豊漁がなんであるか告げるために「鈴虫の鳴くが如く、また雀の鳴くが如く」鳴くなどといわれる。