伊勢宮の雨蛇と烏

原文

伊勢宮の雨蛇というものが、美しい咽喉をころころと転ばして鳴くと、明日は雨が降るといわれ、又屹度間違いなく降ったものであった。

今から六七十年ほども以前のこと、磯子村の後の山に伊勢宮が祭られ、そこに神木と称えられる老松があったが、其の老松の空洞にこの雨蛇が棲んでいたのである。普通の蛇体とは変って、大きな耳が確にあった。天気の変り目や、雨の降る時にはこうして鈴のような声を出して、村中の百姓によく知らして呉れた。村ではこれを伊勢宮のお使いだとして、子供までが信じ切って決して悪戯などはしなかった。

毎年の祭などには、神主が庭前で行う湯立の式を、洞穴から頭を出して眺めていた。又宮詣りする者も、終ると樹の下に立ち寄って、先ず雨蛇を見てから帰るのが例とまでなった。ところが或る年の夏、海が荒れて非常に雷鳴の強いことがあったが、その時落雷して神木が裂け、又雨蛇も斃れてしまい、再び姿を見ることが出来なくなった。今は只古老の物語りのみが残って、人と雨蛇とが互いに見上げ見下す長閑な光景を、想像するばかりなのである。

それから附近に死ぬ人があると、昔から伊勢山の烏が啼くといわれて居る。即ち烏がなくと死人があることを予め知るというのである。又いつも実際であった。昭和の今日でも、山で烏の声がすれば、縁起をかついで親類縁者のうちにふとした不幸が無ければよいが、と不安に思うて居る者もある。(市電濱下車凡二丁)

栗原清一『横浜の伝説と口碑・上』
(横浜郷土史研究会・昭5)より