へびと光国・七面神社

千葉県松戸市

昔、西新田に角内という大地主がいて、見渡す土地は皆彼のものだったが、これが強欲であった。あたりの農民につらくあたるので、ついに農民たちは角内を藁人形で呪うようになり、ほどなく角内は死んでしまった。ところが農民たちの喜びもつかの間、角内の屋敷付近に大蛇が現れるようになった。

死に切れない角内の怨念が大蛇となったのだと恐れられ、光る御殿といわれた角内の屋敷に近づくものはなくなった。何年かして、屋敷はすっかり荒れ取り壊され、そこに一帯を取り締まる代官が屋敷を構えることになった。農民たちの心配をよそに、大蛇など恐れるに足りぬと勇敢な代官はいうのだった。

はたして代官の気の緩んだ夜に大蛇は現れ、暗闇の中大蛇と代官は闘った。取逃がしはしたが、確かに斬った手ごたえがあった、ということで、朝になって西新田一帯を捜すと、血の跡が点々と続いており、農民たちはこれを追った。すると、それは三里も離れた井戸のなかに続いており、中で大蛇が死んでいた。

これより蛇の祟りが起こり、日照りにはすぐ干ばつとなり、雨が降ればすぐ洪水となった。農民たちは死ぬほどの苦しみに悩まされたが、これを聞いた水戸のお殿様が哀れに思い、水戸家が代々崇拝している七面神社を西新田に勧請することとなった。

水戸のお殿様が角内の霊を供養するためお参りし、農民たちも一心に祈願したので、蛇の祟りも薄れていったという。それからはこの七面神社が西新田の守り神となり、信仰を集めていったのだそうな。

小金北小学校「むかしばなしひろった」編集委員会
『むかしばなしひろった』(米本書店)より要約

いずれこの七面神社が水戸藩ゆかりの神社であるという点はその通りであるようなのだが、その勧請理由などが社伝上どのようであるのかというのを見てみないと、伝説が二分している理由なども考え難い。現状は不詳。